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2023年8月17日(木)

座談会『日本共産党の百年』を語る(下)

 田中 第3章から5章は、1961年に綱領路線が確立して以後、60年余の歴史になります。20年ごとに区切りを入れ、第3章(60~70年代)、第4章(80~90年代)、第5章(2000年代~今日)の三つの章になっています。

 ただ20年ごとに区分したということにとどまらず、それぞれの章で、日本共産党が躍進を経験し、支配勢力の反共戦略に対する苦闘の中で、新しい成長と発展を勝ち取っている姿が記されています。各章に「政治対決の弁証法」のダイナミズムがあるのが、非常に味わい深いところです。

第3章

自主独立が全党の血肉に 岩崎

写真

(写真)岩崎明日香さん

 田中 60年代は、綱領路線の確立以後、革新勢力の統一行動の発展、革新自治体の発展、本格的な政策活動、党建設の開拓的努力――など、本当に目覚ましい党の発展が記されています。この時期に日本における「議会の多数を得ての革命」の路線が生きた形で実践され、発展していく姿をかみしめながら読める部分だと思います。

 他方で、党は、ソ連、中国・毛沢東派の干渉とのたたかい――党内に分派をつくり、党を破壊し従わせる策動に遭います。それを正面から打ち破り、自主独立の路線をさらに確固たるものに発展させていく時期でもあります。

科学的社会主義 創造的な探求へ

 これらの努力が60年代末から70年代の「第一の躍進」に実ります。この躍進に対して、「自由社会を守れ」のスローガンのもと、党を“暴力と独裁の党”だとする反共キャンペーンが展開されます。党は、それに正面から対決し、そのなかで、科学的社会主義の自主的な理論的発展を勝ち取ります。科学的社会主義の創造的な探求を、反共キャンペーンに立ち向かう中で行った先輩たちの偉業には、深い敬意を抱かざるを得ません。

 岩崎 第2章の「五〇年問題」の総括文書の部分の記述を見ると、自主独立の立場が「どれだけ自覚的につかまれたかは、個々に相違はありました」と書かれています。つづく第3章では、ソ連、中国・毛沢東派の干渉とのたたかいを通じて、「自主独立の立場が全党の確信となってゆきました」と、発展しています。

 大国による干渉は、一部の党員だけでは決して打ち破れるようなものではない。そんな時に、「五〇年問題」を通じて確立された自主独立の立場を、一人ひとりの党員が自分の血肉にし、体得していくたたかいがなされた、その過程がよく分かります。また、干渉との激しいたたかいの最中でも、大局的な視点に立ち、外交活動の基本姿勢を発展させていく党の努力には、本当に圧倒されます。

 山口 「第一の躍進」の重要な特徴は、60年代に粘り強く続けられた党建設の前進という強固な土台のうえに実現した躍進ということにあります。これに対し、70年代前半から反共戦略が本格化していきます。ここで重要なのは、その時、党が、党の前進は“結束した強力な反革命”をつくりだし、それに正面から立ち向かうことによって、党が鍛えられて、「ほんとうの革命党に成長する」というマルクスの「階級闘争の弁証法」――今日「政治対決の弁証法」と呼ぶ――をつかんで前進への道を切り開こうとしたことです。攻撃に立ち向かう中で、党の立場が前進していったという流れがよく分かる部分です。

攻撃をはね返し 国政の場で役割

 70年代、反共攻撃が強まるなかで、とりわけ激しかったのは、宮本顕治委員長(当時)への攻撃です。国会が反共攻撃の場になるわけです。『百年』史では、その攻撃の最中に、宮本さんが、「ロッキード事件の追及と国会審議の正常化にむけた五党党首会談、衆院議長裁定への筋道をつける役割を果たし(た)」と記述しています。攻撃をはね返しながら、同時に、国政の場では堂々と役割を果たしている。前進してきた党の活動は、反共攻撃でもおしこめることはできなかったのですね。

第4章

筋を通す立場が力を発揮 田中

写真

(写真)田中悠さん

 田中 第4章は、80年代から90年代の時期です。60年代から70年代の躍進に対して、「社公合意」によって「オール与党」体制が敷かれるというところから80年代がスタートします。

 これに対して、党が、「無党派の人々との共同」という新しい統一戦線運動を提唱し、81年に全国革新懇が結成されます。革新懇運動は、その後、あらゆる統一戦線運動を草の根から支える土台となっています。

 「オール与党」体制のもとで、党は、国政選挙で「一進一退」を余儀なくされます。80年代末から金権腐敗政治が国民の批判を浴び、「オール与党」体制の矛盾が噴き出し、党の躍進の兆しがあらわれてきますが、中国・天安門事件や東欧・ソ連崩壊を利用した「体制選択論」攻撃などによって躍進は現実のものとなりませんでした。

 90年代前半、支配勢力が新たな“日本共産党封じ込め”の戦略として発動したのが、「自民か、非自民か」という偽りの対決構図をふりまき、日本共産党を選択肢の外に排除しようという策動でした。しかし、この作戦は、「非自民」勢力が、にわか仕立ての寄せ集めだったために、失敗に終わりました。

「オール与党」で国民が被害者に

 90年代後半から日本共産党の「第二の躍進」が起こってきます。80年代から90年代の流れをたどったときに、日本共産党が筋を通してぶれないで、国民の利益を守り抜くために奮闘したということの意義を非常に感じます。対米従属、大企業奉仕の政治に抜本転換の旗を掲げてたたかっていく――この筋を貫いたたたかいが、無党派層からの支持を得て、党史上最高の躍進につながっていきます。まさに“ぶれない党の真価”があらわれた時代です。同時に、党の自力が躍進についていっていないという弱点もありました。

 山口 「オール与党」体制のもとで“日本共産党封じ込め”が行われる時期に、この体制によって苦しめられたのはわが党だけではなく、国民全体だったという視点が大事です。

 臨調「行革」の名で新自由主義の路線が開始され、労働法制の規制緩和などによって、国民の暮らしに破壊的影響が与えられます。この時期から開始された新自由主義の矛盾が、近年では新型コロナ危機で、国民生活の中にはっきりと表れました。まさに「オール与党」体制の最大の被害者は国民だったということを歴史が証明しています。

 田中 『百年』史にあるように、90年代の新自由主義の悪法に国民の利益に立って対決したのが日本共産党でした。日経連が「新時代の『日本的経営』」を提言し、労働者の圧倒的部分を非正規雇用に変えていくこの戦略に沿って、労働者派遣法が次々に改悪され、99年についに原則自由化されます。このとき反対したのは日本共産党だけです。

筋通した論戦がその後に生きる

 そういう決定的場面でたたかい、きっぱりと筋を通して反対したということが、2000年代の派遣切り、貧困と格差のたたかいに生きているし、コロナ危機のもとでの非正規労働者の劣悪な待遇の問題での党の活動にも生きています。党の張った論陣が、その後の歴史の中で生きていくということの一つの表れだと思いました。

 村主 私は70年代の生まれなのですが、物心がつく80年代には、「社公合意」で臨調「行革」があり、いまにつながる新自由主義の路線が開始されます。そして社会主義・共産主義の問題では、ソ連が崩壊するなど、社会的に“定式化”されていたものが次々に変わっていくダイナミックな時期だったのだと、子ども時代を思い出しながら読みました。

 山口 4章あたりから、自らの体験と重ね合わせて読む人が増えてくると思います。それはとても大事なことで、自分自身の歩みを党史の中で確認・評価していく見方ができるのも『百年』史の魅力です。

第5章

「政治対決の弁証法」鋭く 田中

 田中 2000年代から今日までは、多くが今回新たに記述を起こした部分です。こうして一つの流れでまとめてみると、「政治対決の弁証法」が非常に鋭い形で表れた時期となっていることに気づかされます。

 90年代後半の党の躍進に対して危機感を抱いた支配勢力が、まず公明党・創価学会などを使った大規模な謀略的な反共攻撃を行いました。続いて財界主導の反動的政界再編による「二大政党の政権選択」のおしつけという反共戦略が組まれます。61年綱領確定以後、党にとって最大・最強の逆風として作用したのがこの「二大政党づくり」でした。

 こうした困難に立ち向かう中で、党は2000年の第22回党大会で党の組織と運営の民主主義的な性格をいっそう明瞭にする党規約の改定を行いました。04年の第23回党大会で61年綱領以来の理論的発展を集大成して、21世紀の党の新たな羅針盤となる綱領改定を行いました。

 その後、自民党政権の衰退、民主党政権の誕生、続いて民主党政権の自民党政治への屈服と矛盾の激化という、政治の大きな激動が起こりましたが、なかなか党の躍進にはつながりません。

 『百年』史では、2010年の参院選での後退を「きわめて重大に受け止め」、根本的な選挙総括を行い、「国民の探求にこたえ、展望を示す」という政策論、「綱領・古典の連続教室」などの党建設の新しい探求で努力を重ねていったことが述べられています。

逆流と分断越え 共闘の前進図る

 こうした一連の努力が実ったのが、13年から開始された「第三の躍進」です。この政治的躍進を力に、党は戦争法(安保法制)反対の国民的闘争の流れのもと、市民と野党の共闘で政治を変える新しい挑戦に踏み出していきます。共闘は17年総選挙で逆流と分断に見舞われながら、それを乗り越え、21年総選挙ではついに、政権交代に正面から挑戦するという政治的大攻勢をかけるところまで到達しました。

 これに対し、支配勢力は、反共闘、反日本共産党の攻撃に出てきます。この逆流とたたかい、前途を開こうと奮闘している最中、この攻防のプロセスの中で、党は創立100周年を迎えます。

 山口 第5章では、「政治対決の弁証法」が鋭い形で表れます。2010年代、20年代とめまぐるしく反共戦略が発動されるのです。相手はひとときも同じ戦略では来ない。こちらの対応を見ながら次々と手を打ってきます。

 田中 山口さんが言われるように、選挙のたびに逆流と分断の策動が極めて激しく行われました。とりわけ21年総選挙では、日本共産党が政権交代を掲げ、政治的大攻勢をかけます。本当に大きく攻め込んだのだけれど、支配勢力はさらに激しい反共・反共闘攻撃で応えた。この攻防のプロセスが一番激しく表れたのがこの時期です。

「現在進行形」の攻防のプロセス

 また、『百年』史が、「この攻防のプロセスは決着がついておらず、現在進行形で続いています」としているところも、非常に大事な現在の到達点の認識だと思います。

 村主 天皇絶対の専制政治とのたたかい、戦後の「五〇年問題」の苦闘やソ連覇権主義などとのたたかい、それを先輩たちは乗り越えてきた。この先に記される党史には、今まさに党にかけられている攻撃を打ち破り、前進した歴史を刻めるように力を尽くしたいですね。

最大のカギは党の強大化 山口

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(写真)山口富男さん

 田中 最後のむすびは、志位委員長が党創立100周年記念講演会で明らかにした、今日の党に生きる三つの特質(1)どんな困難があっても国民を裏切らず、社会進歩の大義を貫く不屈性(2)科学的社会主義を土台に、不断の自己改革の努力を続けてきた(3)国民との共同――統一戦線で政治を変えるという姿勢を貫いてきたこと――を改めて明記しています。その上で、これは『百年』史ならではの特徴ですが、党史が党建設の決意で締めくくられています。

 ここには、率直な自己分析性の発揮があります。党がなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していないということを率直に書き込むとともに、党が、「強く大きな党」をつくり、新しい世代に社会進歩の事業を継承し、希望ある未来をひらくために新たな挑戦を開始していることを述べて、党史を結んでいます。

 志位委員長は、『百年』史の発表記者会見で、来年1月に予定されている第29回党大会に向けて、「130%の党づくり」と若い世代、真ん中世代の党勢倍加に挑戦していることを述べましたが、『百年』史の最後の部分がこの決意で締めくくられているというのは、非常に重い意味を持っています。

 山口 支配勢力との攻防のプロセスは決着がついておらず、現在進行形だという話がありました。このプロセスを前進させる最大のカギは党自身を強く大きくすることです。これが『百年』史での歴史を踏まえた提起です。

 村主 志位委員長が党創立100周年記念講演会で明らかにした、党が持つ前進に転じる大きな可能性と条件(1)綱領路線の発展と歴史(2)自民党政治の行き詰まり(3)日本共産党の政治的影響力の大きさ(4)国際政治で“主役交代”が起きている――が『百年』史にも記されています。私は、記念講演の核心部分はここだと思っていたので、うれしく読みました。ここはもっと『百年』史と一緒に深められ、確信にして、党づくりに生かしていくべきところかなと思います。私が言っていた“爽快感”はまさにこの部分です。

『百年』史から力もらって 村主

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(写真)村主明子さん

 山口 なぜ『百年』史が現在の「130%の党」づくりにも政治的な推進力を持つのか。この間、私たちは「政治対決の弁証法」の立場で到達点と課題をつかむことに努めてきました。『百年』史の編纂作業でも、この立場が全体に貫かれました。

 第8回中央委員会総会では、総選挙に向かう政治姿勢として、(1)国民の切実な願いと結びつけて、異常な対米従属・財界中心という日本の政治の二つのゆがみを「もとから変える」――わが党の綱領的値打ちを太く押し出した論戦にとりくむ(2)支配勢力によるわが党の綱領と組織のあり方に対する攻撃を打ち破って、党への丸ごとの支持を広げ、積極的支持者を増やす政治的大攻勢をかける――ことが強調されました。

 この活動を進めていくうえで、綱領、規約、『百年』史が大きな力になります。支部で党史を学び、感想を大いに出しあって、国民のみなさんの間にもこれを広げ、党の姿を語っていく。こうして新たな政治的大攻勢をかける力にしていきたいですね。

 田中 『百年』史では、いかに党の100年の苦闘と開拓の歴史が、現在の党の活動、理論的到達、そして日本の社会進歩の事業の到達点に生きているのかをつかめると思います。同時にそれは、現在のたたかいが未来に生きるということを映す鏡でもあると思います。“歴史をたどると現在が見える”“未来にも希望が持てる”という『百年』史になっています。本当に多くのみなさんに読んでいただきたい。特に若い世代の方々に読んでほしいということを最後に言いたいと思います。

 村主 『百年』史の完成は多くの人が待望し、「待っていました!」と言わんばかりに、今も注文が寄せられています。党史から力をもらい、元気を出して、攻撃を乗り越え、前進したいという多くの党員の思いの表れだと思います。その思いに全面的に応える『百年』史になったと確信します。

 岩崎 日本共産党に対して、「無謬(むびゅう)主義の党」という攻撃がされていますが、『百年』史を読むと、全く逆であり、誤りを認め、自己改革を重ねてきた歴史だと分かります。読んでいて「いいな」と思ったことは広めたくなります。すぐに全体をつかむことは難しいかもしれません。「とってもいいな」と思ったところからどんどん語っていきたいと思います。(おわり)

『日本共産党の百年』〈目次つづき〉

第三章 綱領路線の確立以後(一)――1960~70年代

(1)綱領路線にもとづく各分野での開拓的な努力

(2)ソ連、中国・毛沢東派の干渉とのたたかい

(3)日本共産党の「第一の躍進」――1960年代末~70年代

第四章 綱領路線の確立以後(二)――1980~90年代

(1)「オール与党」体制とのたたかい――1980年代

(2)覇権主義とのたたかいとソ連・東欧の支配体制の解体

(3)90年代の政治状況と日本共産党の「第二の躍進」

(4)世界の平和秩序をきずく課題と野党外交のはじまり

第五章 綱領路線の確立以後(三)――2000年代~今日

(1)「二大政党づくり」とのたたかい――2000年代

(2)「第三の躍進」とかつてない統一戦線の発展――2010年代

(3)世界と日本の激動のなかで――2020年代

(4)むすび――党創立百周年を迎えて


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