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2023年3月23日(木)

「志位委員長と学ぶ」民青の学習会から

日本国憲法があるもとで、敵基地攻撃能力を持つことができるのか?

 日本民主青年同盟(民青)が主催した「この国を『戦争国家』にしていいのか!? 全国青年・学生学習会」(8日)で、日本共産党の志位和夫委員長が敵基地攻撃能力と憲法との関係について語った部分を紹介します。


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(写真)全国青年・学生学習会で質問に答える志位和夫委員長=8日、党本部

 中山歩美民青副委員長 そもそも憲法9条があるもとで、どうして敵基地攻撃能力を持つことができるんでしょうか。持つことはできないということではなかったのでしょうか。

敵基地攻撃能力保有は憲法違反――憲法解釈を変えながら「変えない」とウソをつく

 志位和夫委員長 ここから先は、法理論の話に入っていくので、ややこしい面もあると思うんですけども、とても大事なことなので、聞いてほしいんです。次のパネルを出してください(パネル)。これは、私が国会で使ったものなのですが、敵基地攻撃能力保有と日本国憲法との関係について、さまざまな議論を経て、1959年3月19日に、当時の伊能繁次郎防衛庁長官が行った答弁です。

 「誘導弾等による攻撃を防御するのに他に全然方法がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくということは法理的には自衛の範囲に含まれており、また可能である……

 しかしこのような事態は今日においては現実の問題として起こりがたいのであり、こういう仮定の事態を想定して、その危険があるからといって平生から他国を攻撃するような、攻撃的な脅威を与えるような兵器を持っているということは、憲法の趣旨とするところではない」

パネル

 つまり、敵基地攻撃は、「他に全然手段がない」場合には「法理的には可能」だが、そういう事態は現実には起こりがたいのであり、「平生から他国を攻撃するような兵器」を持つことは「憲法の趣旨とするところではない」、すなわち憲法違反であると言っている。“敵基地攻撃能力の保有は憲法違反”だと明確に言い切っているのが、この答弁なのです。

 国会で、私は、この答弁を引用して、岸田首相に「敵地攻撃能力の保有は憲法違反という憲法解釈を変更したんですか」と聞きました。そうしますと岸田首相は、「変更しておりません」って言うんです。

 中山 え!?

 志位 変更していますよね、どう考えても。「憲法の趣旨とするところではない」と書いてある。ところが、「変更じゃない」と言い張るのです。そして「安全保障環境が変わりました」と言うんです。

 そこで私が、さらに一問聞いたのは、これまでの政府答弁にもあるように、敵基地攻撃が法理的に許されるのは「他に全然手段がない場合」というただし書きがついているではないか、「他に手段がある場合には敵基地攻撃能力の保有は憲法上できない」というのが政府答弁だったではないか。そして政府が、「他に全然手段がない場合」としてきたのは、国連の援助もなく、日米安保条約もないという場合だった。私たちは、日米安保条約が日本を守っているとは考えていませんけれども、少なくとも政府は、日米安保条約があるから「他に全然手段がない」ということは起こらない、だから平生から敵基地攻撃能力を持つことは憲法違反だといってきたではないか。伊能防衛庁長官の答弁と、今度の「安保3文書」の整合性を説明してくださいと聞いたんです。

 これに対して岸田首相はこう答弁しました。「日米同盟だけで完全に抑止できるのか。わが国自身もさらなる努力が必要なのではないか」

 これは聞いたことへの答弁になっていません。整合性の説明になっていない。伊能長官の答弁は、「他に全然手段がない場合」でないと敵基地攻撃能力を持つことは憲法違反というものです。ところが、岸田首相が言ったのは、“日米同盟という他の手段はあるが、それだけでは足らないから敵基地攻撃能力を持つ”ということです。これではまったく理屈になりません。

 中山 話がまったく違いますよね。

 志位 「他に全然手段がない場合」を「他に手段はあるが足らない場合」にすり替えている。しかも、「足らない」というのもまったく論証抜きです。このように伊能答弁との整合性の説明ができなかったというのが、国会の論戦の結論なんです。

 明らかに憲法解釈の変更をやったわけです。憲法のもとでは「持てない」と言ってきたものを「持てる」と言っている。憲法解釈の変更なのです。ところが「変更じゃありません」と言い張る。これが今の政府の対応なのです。国会論戦で説明ができなくなっても言い張る。何が何でも言い張る。「憲法解釈を変えました」と言ったら大騒ぎになるから言わない。こういう汚いやり方で、いま進められようとしているのです。

 中山 堂々とウソをついているっていうことですよね。

 志位 そういうことです。変えているのに「変えていません」という。

 中山 ちょっと卑怯(ひきょう)ですね。

 志位 ちょっとどころかすごく卑怯です。しかも憲法という根本の問題で、こんなウソついていいのか。

 中山 ちょっとひどすぎます。

 志位 ひどすぎることが、いまやられようとしているんです。

「専守防衛」についても、過去の政府答弁との整合性の説明がつかない

 中山 もう一つ、志位さんは、「専守防衛」についても、過去の政府答弁との整合性を追及していましたね。

 志位 1972年10月31日に、当時の田中角栄首相が行った国会答弁を引用し、いま政府がやろうとしていることとの整合性をただしました。次のパネルをご覧ください(パネル)。田中首相の答弁です。

 「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うことであり、これはわが国防衛の基本方針だ」

 非常にわかりやすい答弁です。「専守防衛」というのは、日本を守るという必要からも相手の基地を攻撃することはしないということだと、はっきり言っている。私は、この答弁を引用して、「『専守防衛』と敵基地攻撃は両立しないことは明らかじゃないですか」と聞いた。そうしましたら岸田首相は、この質問に全然答えられなくて、全く違う話をしました。「田中答弁は、海外派兵を禁止した答弁なのです」と言うんです。

 中山 え? そんなことどこに書いてあるんですか。

 志位 田中答弁のどこにも書いてないでしょ。岸田首相は、「海外派兵」――「武力行使を目的にして、武装した部隊を、他国の領土・領空・領海に派兵する」――これを禁止したものなのだと強弁するわけですが、「海外派兵」などということは田中答弁のどこにも書いてありません。これはあまりにひどすぎる答弁です。田中答弁に全く書いていないことを勝手につくり上げて、それを否定したのが田中答弁なんです、という捏造(ねつぞう)をやったのです。歴史の捏造をやったというほかありません。

 この論争のポイントは、田中答弁では、「専守防衛」とはこうだという定義をしているわけです。「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく」というのが「専守防衛」なのだと定義している。この定義にてらせば、相手の基地を攻撃するというのが敵基地攻撃ですから、これは「専守防衛」ではないということになりますね。ここでも整合性が説明できなかった。これが今の政府の現状なのです。

 「専守防衛」というのは、政府の論理では、憲法9条に基づいて組み立てられている議論ですから、「専守防衛」の定義との整合性が説明できないということは、憲法違反ということになります。

憲法解釈を「変える」と言って変えた安倍政権、「変えない」と言って変える岸田政権

 中山 以前、安倍政権のときに集団的自衛権について行使容認の閣議決定、そして安保法制が強行されました。そのとき強行自体は私も許せないと思ったんですが、「憲法解釈を変えた」とはっきり言っていたと思うんですよ。それと比べてもいま岸田首相がやっていることが許されるのかなと思います。

 志位 そこは大事なポイントですね。

 安倍政権は、2014年に集団的自衛権行使容認の閣議決定を強行し、それにもとづいて15年には安保法制を強行しました。この時は、それまでの政府の一貫した憲法解釈――「憲法9条のもとでは集団的自衛権の行使はできない」を、百八十度変えることを天下に宣言してことが進められました。

 集団的自衛権とはどういうことかと言いますと、日本が攻められていないのに、アメリカが海外で戦争を開始した場合に、自衛隊もその戦争に参戦するということです。そんなことは、憲法9条のもとではできない、憲法9条のもとで許されているのは個別的自衛権だけだということが、それまでの一貫した政府の答弁でした。

 それを2014年7月の閣議決定で、安倍内閣が「できます」と変えてしまった。安倍政権というのは閣議決定で何でも決めてしまう政権でした。安倍首相の夫人が「私人か、公人か」ということまで閣議決定で決めるなど、何もかも閣議決定で決めたひどい政権だったのですが、2014年7月には、閣議決定で憲法解釈を変えたと言ったわけです。この解釈変更、それに続く安保法制に対して、国民的な反対運動が広がりました。

 ところが今回は、さきほどお話ししたように、実際には、憲法解釈の大きな変更をやっているのに、「従来の憲法解釈を変えていない」とウソをついている。私は、安倍政権がやったことは許し難いと思います。しかし、彼は、憲法解釈を「変える」と言って変えたわけです。今度は「変えない」と言って変えようとしている。その意味では、こちらの方がさらに悪質ではないかと思います。

 これが、いまやられていることなのです。安倍政権の時には「変える」って言って変えたから、国民的な反対運動が起こった。今度は「変えない」と言ってこっそり変える。こういうやり方は、絶対にあいまいにしないで許さないという立場で頑張りぬかないと、日本は本当に危険な状況に落ち込んでしまいます。

 これは立憲主義が根底から脅かされているということです。立憲主義というのは、憲法によって権力を制約する、勝手なことをさせないということです。ところが岸田政権がやっているように、憲法解釈を根底から変えながら「変えない」とウソをつくことが堂々とまかり通ってしまったら、立憲主義は根本から壊されてしまうという大問題でもあるということなんです。

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(写真)全国青年・学生学習会で講師として登壇する志位和夫委員長(右)=8日、党本部

集団的自衛権行使としての敵基地攻撃――武力行使が際限なく拡大する

 中山 本当に日本の政治の根本に関わる問題ですね。いま話に出ていた集団的自衛権と、いま進められている敵基地攻撃能力保有の関係について整理してほしいと思います。

 志位 いま進められている敵基地攻撃能力保有というのは、個別的自衛権しか認められていなかった安保法制の前の話ではありません。安保法制によって集団的自衛権行使を認めてしまった、その土台のうえで敵基地攻撃能力を持とうとしている。ここに新たな特別な危険があります。

 実際の問題としても、「安保3文書」でもたらされる一番の現実的危険というのは、私は、集団的自衛権の行使として敵基地攻撃を行うことにあると考えています。さきほどお話しした「統合防空ミサイル防衛」(IAMD)への参加はまさにそうです。あれは個別的自衛権の話ではありません。米軍と「融合」するような形で一体化した自衛隊が、米軍の指揮下で、米軍とともに他国への攻撃を行う。先制攻撃の戦争の危険もある。これがIAMDです。集団的自衛権の行使として敵基地攻撃が行われる。これが一番の現実的危険なのです。

 さらにかみくだいて言いますと、集団的自衛権ですから、日本がどこからも武力攻撃を受けていないのに、「存立危機事態」――日本の存立が危なくなる事態だと政府が認定しさえすれば、自衛隊は米軍と一体でたたかうことになる。そのときに今度は敵基地攻撃能力を持っているわけです。敵基地攻撃能力を使って、相手国の領土に攻め込むことになる。そうすると、相手国からすると日本による事実上の先制攻撃になります。さきほどいったように報復攻撃がやってくる。ですから、「日本を守る」のではなくて、日本を戦場にするというのが、集団的自衛権の行使としての敵基地攻撃なのです。

 そしてもう一つ、ここには憲法上の大変大きな問題があります。先日、山添拓議員が参議院の予算委員会で明らかにしたことですが、集団的自衛権の行使として敵基地攻撃を行った場合は、自衛隊の武力の行使が際限なく拡大してしまうことになるという問題です。

 個別的自衛権というのは、日本が侵略を受けた場合に、それを排除するということです。個別的自衛権の場合には、政府が「武力行使の要件」としている、自衛隊の武力行使は「必要最小限度の実力行使」に限られるということをどう定義するかは、ある意味では明瞭です。つまり、日本を侵略している他国の軍隊を、日本の領土、領海、領空の外に排除する、そのための「必要最小限度の実力行使」ということになります。そのように定義することができます。

 ところが集団的自衛権の行使として敵基地攻撃を行ったらどうなるでしょうか。山添議員が、そのときに「必要最小限度の実力行使」をどうやって定義するのかと聞いた。そうしましたら、岸田首相は答えられなくなって、「個別具体的に判断する」としか言えませんでした。つまり集団的自衛権の行使として、自衛隊が武力の行使をはじめるときに、それが「必要最小限度の実力行使」にとどまるという保障がどこにあるのかを言えなかった。つまり自衛隊の武力行使は無制限になるということなのです。

 自衛隊の武力行使の目的も、個別的自衛権の場合には、日本に対する武力攻撃を排除して、日本の主権を守るということになります。ところが、集団的自衛権の場合は、自衛隊の武力行使の目的は、「アメリカに対する武力攻撃を排除」することになる。そのことは首相も答弁で認めました。「アメリカに対する武力攻撃を排除」するということは、米軍が勝つまで(少なくとも負けないように)自衛隊は武力の行使を続けるということになります。

 そうすると仮に米軍が軍事作戦を拡大したら、それにどこまでもついていきますということになります。米軍が勝つまで、自衛隊が米軍と「融合」する形で一体化し、戦争をどこまでも続けることになる。武力の行使が際限なく拡大してしまうのが、集団的自衛権のもとでの敵基地攻撃なのです。無制限の武力の行使の拡大などということが、憲法9条と絶対に両立しないことは、誰が考えても明らかです。こうして憲法違反がいよいよ明瞭になったというのが、論戦の到達点です。

 中山 答えられないというのが本当に恐ろしいですね。

 志位 そうです。政府は、集団的自衛権行使の場合でも、自衛隊の武力の行使は、「必要最小限度の実力行使」にとどまるということを建前としているわけですが、「必要最小限度」とは何かについて定義ができないのです。

 中山 定義できないということは、無制限に武力の行使をやるということですね。

 志位 そうです。

こんな憲法違反がまかり通れば、法治国家、立憲国家でなくなる

 志位 ここまでをまとめますと、まず1959年の伊能防衛庁長官答弁――敵基地攻撃能力の保有は「憲法の趣旨とするところではない」――との整合性を説明できない。つぎに1972年の田中首相答弁――「防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく」という「専守防衛」の定義との整合性も説明できない。国会で明瞭にのべられた二つの重大な答弁を踏みにじっているわけです。しかも集団的自衛権行使として敵基地攻撃を行った場合、自衛隊の武力の行使は無制限に拡大していく。まさに二重、三重に、憲法違反と言わなければなりません。

 この憲法違反という問題は、ちょっとややこしいところもあるけれども、いま言った中心点はしっかりつかんで、こんな憲法違反が白昼堂々とまかり通るような国になったら、本当に日本は法治国家でなくなるし、立憲国家でもなくなってしまう。そういう問題として、この危険性を徹底的に明らかにしていく必要があると思っています。

 中山 政府が明言しない間に、こんなことが進んでいたのかと本当に恐怖を覚えました。

民青がパンフ刊行

「この国を『戦争国家』にしていいのか」

 「この国を『戦争国家』にしていいのか!? 全国青年・学生学習会―日本共産党・志位委員長と学ぶ」は、近く民青同盟からパンフレットとして刊行されます。


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