2022年12月9日(金)
岸田内閣答弁書 「記念講演は承知」といいながら…
「暴力革命」論くり返すお粗末
岸田内閣は6日、日本共産党について「暴力革命の方針に変更はないものと認識(している)」との答弁書を閣議決定しました。日本維新の会の鈴木宗男参院議員の質問主意書に対する答弁書です。
使い古されたデマ攻撃ですが、鈴木氏が「日本共産党創立100周年記念講演会」における「志位和夫委員長の講演内容については承知しているか」としたのに対し、答弁書が「承知している」と答えているのには、あぜんとします。
志位氏の講演は、日本共産党の100年を総括するなかで、「暴力革命の党」という攻撃をはじめ、幾多の反共攻撃に対する総決算的な反論を丁寧に展開したものだからです。答弁書が「承知している」というからには、その内容を踏まえたうえで「暴力革命」論を繰り返していることになります。一体、どこを読みどう理解したのか。
志位氏は100周年記念講演で「暴力革命論」をめぐり、▽1950年にソ連・中国の干渉を背景に党指導部の一部が占領軍の弾圧を利用して、党中央委員会を一方的に分裂させ、その分派によって武装闘争方針の日本への持ち込みが行われたこと(「50年問題」)▽党の分裂を克服する過程で、他国による干渉を批判し、日本の党と運動のことは日本共産党自身の責任で決めるという自主独立の路線を確立したこと▽現在の路線の基礎となる61年綱領確定の過程で、議会を通じた平和的革命の路線を確立し、武装闘争方針の土台となった「51年文書」を「日本の現状に適合しない」ものとして否定したこと▽その後も続いた中国による武装闘争方針押し付けとのたたかいの中で、“議会の多数を得ての革命”がマルクス、エンゲルスの革命論の大道に位置付けられていることを、徹底した研究をもとに明らかにしたこと―こうした歴史を丁寧に解き明かしています。
さらにソ連崩壊後、不破哲三委員長・議長(当時)によって改めて行われたレーニン研究を通じて、“議会の多数を得ての革命”の路線がいっそう発展し、それを党の常任幹部会でも確認した経過も明らかにしました。
志位氏はそのうえで、「日本共産党の綱領路線は、『暴力革命論』との徹底したたたかい、否定のなかで形成されてきたものであって、公安調査庁がいくら妄想しようとも、『暴力革命論』が存在する余地などはどこにもない」と強調したのです。
これを「承知」して、なお「暴力革命の方針に変更はないものと認識」という岸田内閣―。「理解能力がないのか、理解しようとしないのか」(志位氏のツイッターへの投稿)としか言いようがありません。
(中祖寅一)