2022年10月25日(火)
「日本共産党常任活動家の墓」第37回合葬追悼式
市田副委員長のあいさつ
東京都八王子市の上川霊園で22日にあった「日本共産党常任活動家の墓」第37回合葬追悼式で、市田忠義副委員長が行ったあいさつは次の通りです。
![]() (写真)あいさつする市田忠義副委員長=22日、東京都八王子市 |
「日本共産党常任活動家の墓」合葬追悼式は今年で37回目を迎えました。
今年合葬される人は246人です。これまで合葬された方々と合わせて5000人を超え、5082人が合葬されています。今日の党をつくり、歴史を刻んでこられた方々が、その任務や役割、時代をこえて、同志として合葬されています。
「不屈の戦士ここに眠る」という碑文が刻まれ、墓碑の除幕式として合葬追悼式がおこなわれたのは今から36年前の1986年7月でした。戦前、公然とした活動が認められなかった日本共産党にとって、共同墓地をつくるなどはとうてい不可能でした。それどころか小林多喜二が死んだ日の通夜にかけつけた者は検挙されるという状況でした。戦前、権力によってその命までもが奪われた同志たちにはせる思いが、この墓碑に込められています。
1922年7月15日に結成された日本共産党は今年、創立100周年を迎えました。政党として100年の歴史を持つ党は世界でも日本でも稀有(けう)な存在です。この9月には志位和夫委員長が「日本共産党100年の歴史と綱領を語る」と題して党の歴史がなぜ100年続いたのか、その歴史を貫く特質を三つの点で紹介しました。
その歴史をひもとく一つは“どんな困難なもとでも国民を裏切らず、社会進歩の大義を貫く不屈性”であり、二つ目が政治路線と理論の面でも、党活動と組織のあり方の面でも「科学的社会主義を土台にした自己改革の努力」を続けてきたことです。そして三つ目が“国民との共同―統一戦線で政治を変えるという姿勢”を貫いてきたことです。
社会進歩の大義を貫く不屈性は、戦前の天皇絶対の専制政治に正面から挑み、治安維持法と特高警察による弾圧と迫害に抗しての命がけのたたかいにつらぬかれてきました。過酷な弾圧によって命を奪われた先輩は少なくありません。この墓地にはこうした戦前の同志の名前も銘板に刻まれ、墓地に納められています。第2回合葬式で戦前の同志を新たに合葬することになり、記念講演で紹介された川合義虎、渡辺政之輔、上田茂樹、岩田義道、小林多喜二、野呂栄太郎、国領五一郎、市川正一などの先輩たちも銘板に名前を刻んで墓地に納められています。
戦前の同志を合葬するにあたって宮本顕治議長(当時)は、当時の活動の状況を語りながら、戦前の党員への思いをこう述べられました。公然と活動できなかった時代、お互いに知り合うことは少なかった。市川正一とは同郷であったけれども、党に入ってから互いに十数年間、同じ党員としていたけれど、どちらも監獄にいて会うことができなかった。「市川正一は終戦をまたず、獄中で亡くなりました。これは、多かれ、少なかれ、多くの同志たち、途中で弾圧で倒れられた方などに共通の状況」だった、そんな時代をたたかった同志が、今回「共同墓地に眠るということは、私は故人たちも本望ではないか」と。これは共産党員として迫害に屈することなく気高くたたかいぬいた同志に対する宮本さん自身の深い哀悼の思いだったにちがいありません。
日本共産党の歴史の特質の二つ目にあげられている、科学的社会主義を土台にした自己改革の努力は、今回合葬された多くの同志が、それぞれの党活動の場面で時には深刻な苦悩を体験しながら、今日の党綱領の路線として確立・発展し実を結んできているものです。
「50年問題」というソ連、中国の乱暴な干渉が行われ、党の分裂という事態が起こった時期に、この誤りを乗り越えて自主独立路線を確立し、組織的統一を回復する過程は、文字どおり日本共産党だからこそ成し遂げることができた科学的総括であり、偉業ともいうべき自己改革だったと思います。戦後直後の日本共産党員の多くは、侵略戦争に反対し、反戦・平和の旗を掲げた唯一の政党の存在に熱い信頼をもって隊列に参加してきました。そのなかで起きた「50年問題」は党の歴史上、「最大の悲劇的な大事件」でした。だからこそ苦渋の経験をのりこえた組織的統一と団結の回復を心から喜び、新たに確立した61年綱領路線を大きな確信に、政治的、組織的前進に総力を挙げていきました。
綱領路線には、その後のたたかいをつうじて、理論的、政治的な発展もありました。国際的な定説とされていた「二つの陣営」論という世界の図式的な見方の清算や社会主義・共産主義社会―未来社会論の魅力ある豊かな社会への発展の展望なども明らかにしてきました。
私自身も地方党組織で活動していた時代に覇権主義とのたたかいに遭遇してきましたが、今回合葬された多くの方もこうした覇権主義とのたたかいで奮闘され、今日の自主独立の立場の確立のために力を尽くされた方たちであることを、その党歴からうかがい知ることができます。
自己改革は党の活動と組織のあり方でも重ねられてきましたし、それは今も続けられています。党の組織と運営も社会の民主主義的な発展と結んでその改革をすすめています。かつての党組織の運営や党活動には克服すべき課題もありました。党綱領で「ジェンダー平等」を明記し、ジェンダー問題にとりくむことを党の方針の中心に掲げた党として、党活動でも、党生活でも個人の尊厳を大切にして党員自身が「学び、自己改革する努力」をしているところです。
日本共産党の歴史を貫く三つ目の特質として、60年代から今日までの日本共産党のたたかいがどのように展開されてきたか、そこには支配勢力との攻防を繰り返し、どんな困難な状況でも国民とともに政治を変える=統一戦線で政治を変えるという立場を堅持してたたかい抜いてきたことがあります。
日本共産党は三つの躍進の時期を経験しています。最初は、60年代末から70年代。第2は90年代後半の躍進、第3は2010年代中頃の躍進です。70年代の躍進のときは一大反共キャンペーンが展開され、さらに日本共産党の抑え込みのための「社公合意」が行われ、その後あらゆる分野で「日本共産党を除く壁」が築かれました。
今回合葬された多くの方は、この時代を生き、活動してきた党員であり、逆風のなかで党をつくる厳しさを身をもって体験された方々ではないでしょうか。
私も、京都で地区委員長、また府委員長として、逆風にたじろがず、全国の同志のみなさんと必死に立ち向かい、一つひとつの政治闘争、組織建設に力をつくし、その経験によって鍛えられてきたことを実感しています。合葬された名簿を拝見し、中央や地方党機関、議員や専従者としてさまざまな機会にお会いし、ともに選挙をたたかった人など、在りし日の姿がしのばれ、胸に迫るものがあります。あらためて心からの敬意と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
いま私たちは「党創立100周年記念、統一地方選挙勝利・党勢拡大特別期間」の成功に全力をあげています。日本共産党の躍進を阻止しようという反共と反動のくわだてが繰り返され、このたたかいに勝利する最大の力は“強く大きな日本共産党の建設”です。
60年代の党建設の初心に立ち、先人たちのねばり強い、地道な奮闘に学びながら、21世紀の量質ともに強大な党づくりに大志とロマンをもって挑む決意です。
最後に、合葬された故人と喜びや苦労をともにされてきたご家族のみなさんに、心から感謝とお礼を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
ご遺族のみなさんが健康に留意され、お元気ですごされることを願って、追悼のあいさつといたします。









