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2022年9月30日(金)

きょうの潮流

 「名も知らぬ遠き島より/流れ寄る椰子(やし)の実一つ」。島崎藤村作詞「椰子の実」の歌は、民俗学者の柳田国男の体験から生まれました。大学生のときに愛知県の伊良湖岬を旅した柳田は、いくつも流れ着くヤシの実を見つけました。友人だった藤村はその話をヒントに詩を書いたのです▼民俗学の研究のため全国を旅行した柳田は、最晩年に再び南方に目を向けました。亡くなる前年の著書『海上の道』(1961年)では、日本人の祖先は沖縄の島々をつたってきたという仮説を示しました▼柳田が南方起源説を唱えた背景には、米軍政下にあった沖縄に対する柳田の深い憂慮と同情がありました。自分の研究が沖縄の祖国復帰に役立つことを願って、沖縄にこそ日本人のルーツがあることを強調したといわれています▼沖縄独特の御嶽(うたき)信仰や伝承の由来は今もさまざまに研究されています。さらに、沖縄にあるのは「古い日本」の手がかりだけではないと述べたのが、哲学者の鶴見俊輔でした。「未来の日本を設計するための手がかりもまたあります」▼ベトナム戦争をはじめ、アジアに対する米軍の前線基地にされてきた沖縄。だからこそ県民は日本国憲法への復帰をもとめ基地を拒否してきたのだ、と▼「戦後の世界に対して、無害な日本がつくりうるかという展望は、日本国民全体が沖縄の体験を受け継ごうとする努力を通して現れるでしょう」と鶴見。辺野古のたたかいは、アジアと世界の平和と未来につながると改めて気づかされます。


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