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2022年9月18日(日)

党創立100周年記念講演会 未来ひらく強く大きな党を

日本共産党100年の歴史と綱領を語る

志位委員長が記念講演

4氏からメッセージ

 日本共産党は17日、党創立100周年記念講演会を党本部と全国をオンラインでつないで開催しました。志位和夫委員長が「日本共産党100年の歴史と綱領を語る」と題して講演。日本共産党の100年の歴史を貫く三つの特質と一体に、現綱領の一つひとつの大切な内容が、どのような歴史的経過でつくられてきたのかを語り、「未来をひらく強く大きな党をつくるために力をそそぐ決意を、固めましょう」と呼びかけました。沖縄県知事の玉城デニーさん、劇作家・演出家の永井愛さん、小説家・法政大学教授の島田雅彦さん、俳優の仲代達矢さんからのメッセージが紹介されました。記念講演は全国各地の視聴会場で多くの人が視聴し、ユーチューブでの視聴者は延べ4万7516人にのぼりました。


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(写真)講演する志位和夫委員長=17日、党本部

 志位氏は冒頭、メディアから「なぜ100年間続いたのか」という質問が寄せられたことを紹介し、「一つの政党が1世紀にわたって生命力を保ち、未来にのぞもうとしていることの意義は小さくない」と強調。その上で、日本共産党の100年を貫く三つの特質を語りました。

不屈性

 第一の特質は、どんな困難のもとでも国民を裏切らず、社会進歩の大義を貫く不屈性です。

 志位氏は「ただやみくもに頑張るのでなく、科学の立場で社会発展の先々の展望を明らかにする先駆性と一体になった不屈性こそが、日本共産党の特質です」と強調しました。

 志位氏は、戦前の党の歴史における不屈性は、天皇絶対の専制政治――絶対主義的天皇制の変革に正面から挑むという姿勢と一体のものだったと指摘。天皇絶対の専制政治は、日本社会の発展の最大の障害物だったとして、「日本共産党の誕生は、天皇絶対の専制政治の変革に、科学的社会主義の立場に立って、正面から取り組む政党が、日本に初めて現れたという歴史的意義をもつものでした。それは侵略戦争反対、国民主権の実現など、平和と民主主義の問題でも、これに正面から真剣に取り組む政党が初めて現れたという国民的意義をもつものでした」と語りました。

 このたたかいの中で、戦前の先輩たちが迫害によって命を落としたこと、その中には若い女性の不屈のたたかいもあったことを述べた志位氏は、当時の弾圧法・治安警察法によって女性の政党への加入が禁止されるもとで、「日本共産党は、この時代に、多くの女性党員をもち、女性党員の誇るべきたたかいを歴史に刻んだ唯一の党だったのです」と述べました。

 弾圧によって党中央の活動は中断に追い込まれたものの、その期間も、「戦後の新しい社会を準備する豊かな営みも生まれた」として、獄中にいた宮本顕治さんと、その妻の百合子さんの12年のたたかいを詳しく紹介しました。

 続いて、戦後の党の不屈の歩みを支える画期となったのは、1961年の第8回党大会で確認した綱領路線――民主主義革命を当面の任務とし、社会主義的変革にすすむという路線だったと強調。5年にわたる綱領論争を経て、8大会で「反帝反独占」の民主主義革命――異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破を戦略的任務とした意義を述べ、「とりわけ、米国の対日支配の打破を革命の戦略的課題にしっかりとすえたことは、その後のわが党の不屈のたたかいの最大の支えとなりました」と語り、その後の歴史が61年綱領の正しさを証明したと指摘しました。

 その上で、「沖縄の不屈のたたかいの歴史をお話ししたい」として、来年は、沖縄人民党が日本共産党に合流して50年の節目となると強調。沖縄人民党のリーダーを務め、日本共産党副委員長をつとめた瀬長亀次郎さんの不屈のたたかいについて語りました。不屈の闘争の根本には科学の力があったと述べ、沖縄のたたかいと「日本共産党の61年綱領との深い理論的な響きあいがあった」ことも紹介しました。

 志位氏は、61年に確定した綱領路線は今日、大きな力を発揮しているとして、ロシアのウクライナ侵略を利用した改憲・大軍拡推進の大逆流に対し、日本共産党が不屈にたたかい、押し返してきた土台には「61年前に打ち立てた綱領路線の生命力が脈打っています」と力説しました。

自己改革

 第二の特質は、科学的社会主義を土台にして、つねに自己改革の努力を続けてきたことです。

 志位氏は、「日本共産党に対して『無謬(むびゅう)主義』―“誤りを決して認めない党”という攻撃が繰り返されています。しかし、これほど的外れのものはありません」と批判。党の歴史の中には、誤りや歴史的制約もあるとして、「それらに事実と道理に立って誠実に正面から向き合い、つねに自己改革を続けてきたことにこそ、最大の生命力があります」と語りました。

 志位氏は、100年の歴史を通じて、党の最大の危機は、1950年に旧ソ連のスターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ、党が分裂に陥った「50年問題」だったと指摘。この危機を乗り越える過程で、大きな自己改革を遂げてきたと語りました。

 終戦直後の時期まで、党にはソ連や中国のやることには「間違いはない」という認識があったとして、「そうした認識を、わが党への乱暴な干渉と党の分裂という最大の誤りを解決していくなかで、大胆に乗り越え、自主独立の路線――日本の党と運動の問題は、日本共産党自身がその責任で決定し、いかなる外国勢力の干渉も許さないという路線を確立していきました」と語りました。自主独立の路線は60年代以降も旧ソ連、中国・毛沢東派による干渉に反対する闘争の中で、全党が国際問題の論文を徹底的に読むなどして全党の血肉になったと語り、「干渉と正面からたたかいぬき、打ち破ったことは、国民的意義をもつものではないでしょうか」と述べました。

 志位氏は、「自主独立の路線のうえに、この60年余、綱領路線の大きな理論的・政治的発展をかちとってきた」と強調。その発展がどれも生きたたたかいの中でかちとられたものだとして、(1)アメリカ帝国主義論の発展(2)“議会の多数を得ての革命”――選挙で国民の多数の支持を得て平和的に社会変革を進める路線(3)党綱領の世界論の大きな発展と野党外交(4)社会主義・共産主義論(未来社会論)の画期的な発展―の4点について、どういう経過を経て達成されたのかを詳細に語りました。

 この中で、“議会の多数を得ての革命”に関わって、「50年問題」で分派が干渉者の言うままに武装闘争方針を押し付けたことについて、1956年6月の中央委員会総会(「6全協」・7中総)で、「議会を通じて、平和的に革命を行うことが可能となった」と明記するとともに、分派がつくった武装闘争方針の土台となった文書(「51年文書」)を日本の現状に「適合しない」ときっぱり否定したと指摘。これを契機に綱領討議が正式に始まったとして、「武装闘争方針の否定こそが61年綱領を確立する出発点でした」と強調しました。

 また、野党外交と世界論について、欧州など発達した資本主義国の左翼・進歩党などの現状に触れ、「野党外交の新しい発展方向として発達した資本主義国の左翼・進歩政党との交流と協力の新たな発展をはかりたい」と表明しました。

 その上で、「この理論的・政治的達成は、自主独立の立場であらゆる覇権主義とたたかい続けた全党の奮闘によってかちとった成果です」と強調しました。

 「日本共産党は党の活動と組織のあり方においても、自己改革を重ねてきました」と語った志位氏は、党が「50年問題」の総括にたって、いかなる事態のもとでも党の統一と団結を守る民主集中制の原則を守り、発展させることが大切だという教訓を引き出したと強調。日本共産党が党大会において民主主義をどのように貫いているかについて詳しく語り、「民主集中制に対する攻撃は、わが党の民主的運営の生きた実態や、自己改革能力を見ようとしない不当な独断に満ちたものです」と批判しました。

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(写真)記念講演をする志位和夫委員長=17日、党本部

統一戦線

 第三の特質は、国民との共同――統一戦線で政治を変えるという姿勢を貫いてきたことです。

 志位氏は、61年綱領が確定した後の60年余りは、「『政治対決の弁証法』と呼ぶべき支配勢力との激しいたたかいの連続でした」と指摘。日本共産党が躍進した三つの時期を振り返りながら、支配勢力との攻防の歴史を語りました。

 第一は60年代末~70年代の躍進です。その特徴は、60年代に粘り強く続けられた党建設の飛躍的発展を土台の上に実現したことでした。志位氏は、それに危機感を募らせた支配勢力が反共キャンペーンを開始し、80年の「社公合意」により、日本共産党を除く「オール与党体制」がつくられたと指摘。しかし、共産党は「無党派」との新しい統一戦線運動に取り組んだとして、革新懇運動の歴史的意義を語りました。一方で、「オール与党体制」の腐敗政治の中で、共産党が選択肢として浮上し、これを恐れた支配勢力は新たな戦略として、小選挙区制の強行と保守の「二大政党制」づくりをすすめたと指摘しました。

 第二は、90年代後半の躍進です。この時、党史上最高の峰に躍進しましたが、同時に党の政治的影響力の急拡大に、実力が追い付かないという課題もありました。志位氏は、この躍進に対し、今度は財界主導で「自民か、民主か」という「二大政党の政権選択」が押し付けられ、「最大・最悪の厳しい逆風として作用しました」と指摘。この最も苦しい時期にも統一戦線を発展させる新しい努力と探求を続けたとして、草の根の革新懇運動や「一点共闘」が各分野で広がったと述べました。

 第三は、2010年代中頃の躍進です。「二大政党の政権選択」が崩壊するもとでの躍進でしたが、ここでも「実力以上の躍進」と総括し、党の実力とのギャップを埋めねばという奮闘が続けられました。党は、安倍政権による安保法制の強行に反対する国民運動が大きく発展する中で、「市民と野党の共闘」という新しい挑戦に踏み込みます。志位氏は、支配勢力の攻撃は熾烈(しれつ)なものとなり、17年、21年の総選挙では野党共闘攻撃・反共攻撃が行われたとして、「この攻撃は支配勢力がいかに共闘を恐れているかを強く実感させました」と指摘。「この攻防は現在進行形です。次のたたかいで必ず反転攻勢を」と訴えました。

 志位氏は、反共キャンペーンと暮らし・平和破壊の政治は一体だとして、「国民こそが最大の被害者です」と強調。「反共と反動のくわだては、その一歩一歩が、自民党政治と国民との矛盾を広げ、その行き詰まりを深刻にしています」と述べ、「大局的・客観的に見るならば、日本はいま新しい政治を生み出す『夜明け前』となっているといっても過言ではありません」と強調。日本共産党を躍進させてこそ、新しい政治を生み出す「夜明け」が現実のものになると訴えました。

 その上で、「その最大の力、保障となるのが、強く大きな日本共産党を建設することです」と強調。現在の党の発展段階と客観的条件を60年代中頃と比較してとらえたときに、巨大な変化があるとして、(1)綱領路線の発展(2)自民党政治の行き詰まり(3)日本共産党の政治的影響力の大きさ(4)国際政治で“主役交代”が起きている――の四つをあげました。「この巨大な変化を生かして、未来をひらく強く大きな党をつくるために力をそそぐ決意を、党創立100周年にあたって固めよう」と呼びかけました。

次の100年へ

 最後に志位氏は、日本共産党が社会主義・共産主義をめざす革命政党であり、「革命とは平和的で合理的な、同時に、根本から社会変革を進めることです」と強調。「だからこそわが党は、支配勢力の攻撃につねにさらされてきました。100年を振り返り、順風満帆な時期はひと時もありませんが、支配勢力による攻撃は、わが党が革命政党であることの証しです」と述べ、100年の歴史で発揮された特質を新しい時代に発展・継承し、希望ある未来をひらくためにともに奮闘しようと呼びかけました。


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