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2022年8月18日(木)

徹底追及 統一協会 闇勢力編(下)

岸信介元首相と懇意

“勝共運動飛躍の契機”

写真

(写真)統一協会系の出版物『日本統一運動史』は、かつての統一協会本部は岸信介元首相が首相公邸として使用していた建物だったと紹介しています

 統一協会(世界平和統一家庭連合)と自民党をつなぐ“原点”ともいうべき場所があります。

 気温が35度を超える猛暑のなか、東京・渋谷駅から坂道を15分ほど上りました。汗が額から流れ落ちるころに、渋谷区南平台町につきます。道玄坂上のバス停手前に路地を2回曲がると、改装中の白いマンションが見えます。

 かつての地番は南平台45番地。岸信介元首相の自宅があった場所です。

 1964年11月1日、統一協会は、岸宅に隣接した邸宅に本部を構えました。

 協会関係者らがまとめた『日本統一運動史』は、当時の本部についてこう記しています。

 「戦後の岸内閣の時代に、首相公邸として使用されていました」

 マンションに住む男性に尋ねると「岸元首相の自宅がここにあったのは知っています。統一協会本部もあったの? それは知らないなあ」と言います。

 南平台の協会本部にいったことがある女性に話を聞くことができました。和歌山県に住む小中泉さん(79)=仮名=です。小中さんは大学の卒論を書き終えた22、23歳のころ、「キリスト教に関心がありませんか?」と女性から声をかけられました。それをきっかけに南平台の本部に数回通ったといいます。

 「だれかに『隣は岸元首相のお宅だ』と聞いてびっくりしました。中庭でバレーボールをしていたから、敷地は広かったように思います」

 統一協会初代会長の久保木修己氏は著書で、岸氏が協会本部にしばしば足を運んだとしてこう回想しています。「隣同士のよしみということもあったかもしれません」

 ただ実際には、“隣同士”の関係を超えた深い付き合いでした。

 岸氏は73年4月8日、統一協会にきてこんなメッセージを発しています。

 ―ここにくるのは3回目。右翼の大物だった笹川良一氏に、信者たちは日本を「救うべき大きな使命を持っている青年だ」などと聞いた。久保木会長の説教は情熱がこもっており「非常に頼もしく私は考えた」…。

 文字通りの大絶賛です。68年に岸氏は国際勝共連合の発起人に名を連ねます。勝共連合は、統一協会の政治団体でもっぱら反共謀略活動を展開する組織です。

 韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(当時)に久保木会長が面会(70年)する際には、岸氏が自筆で推薦文を書いたといいます。

 久保木氏は岸氏の貢献についてこう書き残しています。

 「岸先生に懇意にしていただいたことが、勝共運動を飛躍させる大きなきっかけになったことは間違いありません。国内においても国外においてもそれは言えることです」(おわり)

 闇勢力編はいったん終わりますが、連載は今後断続的に掲載します。


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