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2022年8月15日(月)

きょうの潮流

 無条件降伏を求めたポツダム宣言をもっと早く日本が受諾していたなら、広島、長崎への原爆投下はなく、ソ連の対日参戦はどうなっていたか。毎年終戦の日になると思うことです▼宣言は1945年7月26日、日本に民主化・非軍事化を求め、米英中の共同宣言として発せられました。翌日、英文で手に入れた外務省の外郭団体、総合印度研究室の研究員らが翻訳▼指示したのは、内閣書記官長・迫水久常のブレーン、木原通雄。宣言の受諾へ働きかけていたといわれる人です。翻訳にあたったのは、若きマルキストの岡倉古志郎(国際政治学者)と鈴木正四(歴史家)ら3氏▼前年から敗戦必至の見通しを持っていたという岡倉氏が回想しています。「宣言の発表によっていよいよ決定的段階がやってきたとの判断を固めた」。鈴木氏は、木原氏とは意見を聞き参考にしてくれる関係で、「これを利用して今回の和平には間接ながら一役買った」と、敗戦直後に近親者への手紙で明かしています▼政府は28日、軍部に押されて宣言の「黙殺」を発表。受諾しなければ「速急かつ完璧な破壊」という文言に鈴木氏は着目して、「即刻手を打つべきだ」と勧告したといいます▼「天皇の一貫した意志によって決定された形をとり、政府首脳部には一人として政治家らしい政治家がいない。政府が国民から完全に遊離している」と鈴木氏。宣言の受諾まで3週間もかかり、多くの犠牲を出した戦争指導部の罪の深さについてあらためて考えさせられます。


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