2022年7月23日(土)
きょうの潮流
日本における国葬の始まりは大久保利通の葬儀でした。多大な人員と国費が投入され、それまでの「功臣」の葬儀と比べても圧倒的な規模だったといいます▼まだ明治政府への反対勢力が盛んな中での最高実力者の暗殺。「大久保の葬儀は天皇が哀(かな)しんでいる様子を視覚化し、不平士族の所業を天皇の名のもとに完全否定する」政治的な意図をもっていました。宮間純一中央大教授が『国葬の成立』で説いています▼その後、岩倉具視(ともみ)や三条実美(さねとみ)などの葬儀をへて国葬は国家権力によって形づけられていきます。その死と「功績」は国全体で共有され、国民との一体感を生むための一大イベントとなりました▼勅令で定められた国葬令が廃止された戦後は吉田茂元首相の国葬が唯一行われましたが、法的根拠は欠いたまま。近年は内閣と自民党の「合同葬」が慣例でした。ところが岸田内閣は、安倍元首相の国葬を9月27日に日本武道館で行うことを閣議で決めました▼天皇支配や国家統制に利用された歴史。国が一方的に評価し、国民を強制的に巻き込む時代錯誤。まして、安倍政治は国民多数からの批判を散々浴びてきたにもかかわらず▼「民主主義を断固として守り抜く」と岸田首相。しかし宮間教授は、国葬は民主主義とは相いれない制度であると。「国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見を抑圧しうる制度など民主主義のもとで成立しようはずがない」。わきあがる反対を無視しての強権。それは民主主義の破壊にほかなりません。








