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2022年5月23日(月)

きょうの潮流

 松川事件の元被告の一人が、死刑判決をくつがえし、無罪判決を出した高裁の元裁判長と晩年に交友を深めていました。4月末に95歳で亡くなった本田昇さんです▼松川事件は1949年8月、現在の福島市松川町で列車を転覆させ、国鉄の労組員ら20人を謀略で犯人に仕立てた戦後最大の冤罪(えんざい)事件です。61年の差し戻し審の仙台高裁で全員無罪となり、63年に上告が棄却されました▼無罪判決を出した門田(もんでん)実さんは退官後、弁護士として新橋の法律事務所に通っていました。本田さんは偶然、駅のホームの階段で出会い、降車駅まで裁判後の話に花が咲きました。何回か手紙を書くと、門田さんから「お会いしたい」と便りがあり、鎌倉の自宅を訪問することに▼90歳を超えた元裁判長と何度か会ううちに、判決の確定時に、地方の家庭裁判所の所長をしていた門田さんが詠んだ和歌の意味を教えられました。「むら雲の散り去りゆきて 朝の陽(ひ)に 葉ごとの露ぞ 珠(たま)とかがやく」。「あの『葉ごとの露』は被告だった皆さんです」▼門田さんは、貨車1台分の資料を精魂こめ読み込みました。「『珠玉の真実』たちよ、『葉ごとの露』たちよ、と見てくださっていたとしたら、世の中にこんな幸せな被告はいなかったと思う」と本田さん▼一方で、獄中にいた10年間に「この人はおそらく無罪だな、と思われた人が少なくとも2人いた」と書き残しています。裁判官の資質とともに、毎年50件前後も生じている冤罪事件を防ぐ仕組みづくりも急務です。


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