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2022年4月8日(金)

きょうの潮流

 忍者ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿、笑ゥせぇるすまん…。子どもからおとなまでを楽しませた主人公たち。うみだす土台には人間への深い愛情がありました▼「ぼくは人間にたいして、どんな人でもきらいになることはない」。亡くなった漫画家の藤子不二雄Ⓐさんは人間が大好きで出会いを大切にしていました。それが漫画も人生も、豊かなものにしてくれたと▼のちに藤子・F・不二雄を名乗った藤本弘さんと富山から上京。あこがれの手塚治虫がいるトキワ荘に転がり込みました。最初のペンネームは「足塚不二雄」。手塚をもじり、コンビを組む藤本の藤を不二とし、自分の本名の安孫子素雄から雄をとりました▼彼と出会わなかったら絶対漫画家になっていなかったという藤本さんとの合作は「オバケのQ太郎」まで続きました。しかし次第に作品の路線が分かれ、50歳をすぎてから独立。独創性をひろげ自分のまんが道を進みました▼自作を映画化した「少年時代」には、竹やり訓練や空襲を体験した戦争への批判が込められていました。「ぼくの元気の素(もと)は、子ども心に空を自由に飛びたい、大勢で原っぱで思いきり遊びたいという夢。そんな仕事に自分が現役でいることができる喜びですね」。本紙にそう語ったことも▼人々を元気づける漫画を描き続けた88年の生涯。生前若い人たちに向けてメッセージを送っていました。「人間は、何か夢をもって前向きに生きていくということが、とても大事だと思っています」


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