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2021年6月2日(水)

主張

雲仙・大火砕流30年

教訓に学び火山対策の強化を

 長崎県の雲仙・普賢岳の噴火で、43人が犠牲になった大規模な火砕流の発生から3日で30年です。当時、火砕流は繰り返され、土石流も頻発しました。多くの住宅や農地などは甚大な被害を受け、住民の避難生活は長期にわたりました。自民党政権の対策の立ち遅れをめぐり、世界有数の火山国の政治の姿勢も問われました。火山活動の活発化で住民が避難を求められる地域は各地にあります。火山による被害から国民の命と暮らしを守ることは、災害対策の重要課題の一つです。悲劇を生んだ教訓に学び、火山対策の強化を一層図ることが必要です。

すさまじい被害もたらす

 雲仙・普賢岳は1990年11月17日、198年ぶりに噴火しました。91年5月に入ると溶岩が噴出し、山頂付近の火口に溶岩ドームが形成され始めます。人命を奪った大規模な火砕流が発生したのは6月3日午後4時すぎでした。溶岩ドームが大きく崩壊し、普賢岳東側の島原市北上木場地区を襲いました。高熱の火砕流にのみ込まれた家屋は燃え上がり、ひどいやけどの人たちが次々と病院に運ばれました。緑豊かだった地域が火山灰に埋め尽くされ、荒野に一変した惨状は火砕流のすさまじさを見せつけました。

 島原市と深江町(現在の南島原市)は、立ち入り禁止の「警戒区域」を設定します。その直後にさらに大きな火砕流が発生し、以降も断続的に火砕流と土石流がおき、警戒区域内の多くの家屋を破壊し農地を荒廃させました。被災家屋は約1400戸にのぼります。最大時1万人以上が警戒区域の外での避難生活を強いられ、仮設住宅は1500戸を超えました。

 自民党政府は既存制度の対策の枠組みから出ようとせず、自宅の再建や生業(なりわい)への支援には、個人補償をしないという立場も崩さず、被災者に苦難をもたらしました。

 噴火終息宣言が出されたのは96年6月です。5年半におよぶ雲仙・普賢岳の噴火活動は、日本の観測体制や災害・防災対策の弱点を浮き彫りにしました。住宅再建支援の被災者生活支援制度の創設や、避難所の住環境の改善など、国民の世論と運動で前進させている面も多くありますが、改革しなければならない課題は依然山積しています。過去の災害への反省を踏まえた対策が求められます。

 普賢岳の山頂近くにできた溶岩ドームは、大きな地震や大雨で崩落する危険が指摘されています。5月末には住民の避難訓練が行われたのをはじめ、地元自治体は政府に対して観測・監視体制などの強化を要望しています。警戒を怠ることがあってはなりません。

観測・監視体制拡充急げ

 2014年の御嶽山(長野・岐阜両県)噴火は63人が犠牲になり、18年の草津白根山(群馬県)噴火では12人が死傷し、対策強化が迫られました。富士山噴火の想定は17年ぶりに見直され、溶岩流の到達範囲が広がりました。火山防災の重要性は増しています。一方、大きな役割を果たす火山研究者が少ないことは深刻です。04年の国立大学法人化の影響による研究予算の減少も指摘されています。世界の火山の約7%が集中する日本の観測・監視体制の拡充は急務です。人員と予算を増やすことは火山防災を進める上で不可欠です。


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