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2021年5月31日(月)

きょうの潮流

 1954年3月1日、静岡県焼津市のマグロ漁船が南太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被曝(ひばく)し、無線長の久保山愛吉さんが同年9月に40歳で亡くなった第五福竜丸事件▼新俳句人連盟の俳人たちが81年から毎年9月、核廃絶の願いを込めて「久保山忌句会」を開いてきたことを、句会40回を記念して出版された俳句作品集『未来へ 第五福竜丸とともに』(第五福竜丸平和協会)で知りました▼第1回で詠まれた句〈焼津まで秋空一枚遺言碑 田中千恵子〉。東京・夢の島公園の第五福竜丸展示館のそばに立つ「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と刻まれた久保山さんの石碑は、この句から「遺言碑」と呼ばれるようになったといいます▼第1回の句会からさかのぼること13年前の68年。夢の島のゴミの中に捨てられていた第五福竜丸を歴史の証人として保存しようという運動が起こった時も、俳人たちは俳句で声を上げました。〈きしむ船体悼みの海は冬の音に 敷地あきら〉▼85年には3月1日のビキニデーに焼津へ初吟行に出かけ、久保山さんの墓前祭とデモ行進に参加。〈デモを映し冷凍魚らの眼(め)ビキニデー 古沢太穂(たいほ)〉。チェルノブイリ原発事故が起きた86年の句会では〈反核へ向ける舳先(へさき)をまんじゅしゃげ 鈴木吉英〉▼被曝の記憶は次世代へも継承されています。〈「くぼ山さんへ」ちちろが沁(し)みる幼い字 望月たけし〉。今年、俳人たちは核兵器禁止条約発効の重みを胸に41回目の句会に集います。


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