2021年5月25日(火)
きょうの潮流
「いかなる機関がこれを組織し、いかなる方向性をもって運営するかによって、スポーツは有益とも有害ともなりえよう」。近代オリンピックの創始者クーベルタンは五輪が生み出す悪い部分にも目をむけていました▼自身がつくった国際オリンピック委員会(IOC)については、政治や各国の干渉から自由でなくてはならない。委員たちは理想や人間性にこそ奉仕する「道徳的なエリート」であると考えていました▼何のための五輪か。125年前アテネで始まってから32回を数える東京大会は改めてこの問いを突きつけています。コロナの世界的な感染拡大、医療がひっ迫し緊急事態宣言下にある開催地、選手間の競技環境の格差。それでも開く意味はあるのかと▼現IOCのトップは前のめりです。コーツ副会長が宣言下でも開くといえば、バッハ会長は「最後のカウントダウンが始まった。五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と後押しする。そして根拠なき「安全安心」をくり返す菅政権▼国際交流には「相互の敬意」が欠かせないと説いたクーベルタン。開催国の国民多数が反対し、強行を思いとどまらせる声が世界から上がっているいま、それを無視して強行すれば、相互不信と分断をひろげるだけです▼「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進」「人類の調和のとれた発展」。オリンピック憲章が掲げる目的です。いまの本末転倒したIOCの姿勢は五輪の理想をもおとしめています。








