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2021年5月10日(月)

きょうの潮流

 雪もとけ、北の大地にみずみずしい自然が映えるころ。野山には草花がめぶき、畑起こしも始まります。長い冬も終わり、きらめく季節に思い返すあの日々▼年寄りと幼子をかかえ、鵜沢希伊子さんの一家が東京から北海道に渡ったのは終戦の年でした。空襲によって焼けだされ、無一物で帯広へ。そこから汽車と馬車にゆられ、行きついた先はほったて小屋。目の前にはどこまでも畑がひろがっていました▼来れ、沃土(よくど)北海道へ―。当時そんなスローガンのもと、身一つとなった戦災者を北海道に集団帰農させる国策が進められていました。食料増産のため「特攻隊に続け」とあおり、駆り集められた人びとは「拓北農兵隊」と名づけられました▼しかし入植者を待ち受けていたのは、沃土どころか泥炭地が広がる原野がほとんどでした。農作の経験もないうえに、寝息も凍る極寒の地。家も土地も農具も無償、助成や援助もあるとした国の約束はことごとく反故(ほご)にされました▼夜逃げや一家離散、病気や生活苦…。敗戦を挟んだ北の大地の苦難は歴史の闇に沈んでいます。鵜沢さんはその事実を後世に残そうと、自身を含めた体験者の証言を『知られざる 拓北農兵隊の記録』(高文研)にまとめました▼「戦災にあい国から冷たく捨てられた私たちが、人生をかけて戦争は絶対にすべきではないと伝えなければ」。平和を希求する憲法を守る運動には死ぬまで参加したいと。90歳になるいまも「戦争反対 守れ九条」と書かれたワッペンを胸に。


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