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2021年2月22日(月)

主張

近づくビキニデー

核被害救済 新たな取り組みを

 1954年3月1日、南太平洋・ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を強行しました。周辺島民や近くで操業中の多くの漁船が被ばくし、マグロ漁船第五福竜丸の無線長・久保山愛吉氏は亡くなりました。核兵器の恐ろしさをみせつけたこの事件は、反核運動が発展する大きな契機となりました。以来3月1日は、「ビキニデー」と呼ばれ、核兵器廃絶運動の重要な日となっています。被災67年の今年は1日に全国集会がオンラインで開催されます。

禁止条約の発効を力に

 1月22日に発効した核兵器禁止条約は、「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)および核実験の被害者にもたらされた容認しがたい苦難と損害に留意」(前文)すると明記しました。核兵器による非人道的な惨禍を繰り返してはならないとの決意と、被害者への援助と連帯の意思が込められています。

 第6条では、被害者に対する医療面とともに、社会的、経済的な支援、汚染地域の環境回復を締約国に義務づけています。第7条は、被害者と被害国への国際的な協力や援助を定め、締約国が技術的、財政的な支援を行うことも求めています。

 そうした援助は、国連や国際赤十字・赤新月社などの国際組織、NGOだけでなく2国間などでも行われることになっています。同条約に参加していない核保有国や同盟国の被害者への援助も可能です。発効後1年以内に開かれる締約国会議では、具体的な支援策が議論されることになるでしょう。

 問われるのは、広島・長崎・ビキニと3度にわたり核兵器の被害を受けた日本の政府の姿勢です。ビキニ事件の際、日本政府は、被災漁船が広範囲に多数存在していたことを認識しながら、アメリカ政府からのわずかな「見舞金」による「政治決着」で、幕引きを図りました。日本の反核世論の広がりに危機感を抱いたアメリカが、日本政府に鎮静化を急がせたのです。その結果、多くの被災船員が長年、まともな補償や救済もなく放置されました。核兵器による被害の救済より、アメリカの核戦略を優先するこの立場は、広島・長崎の被爆の実相を過小評価し、国家補償による被爆者援護を拒んできたことと共通しています。

 ビキニ被災者の救済に背を向けてきた国の責任を追及し、国家賠償を求める運動は粘り強く続きました。被災乗組員への労災申請却下の取り消しなどを求める訴訟もたたかわれています。政府は一刻も早く、被災の全貌を調査、解明し、高齢化する被災者と家族の救援の措置をとるべきです。

「核抑止力」論と決別を

 菅義偉政権は、アメリカの「核の傘」=「核抑止力」に依存していることを理由に、禁止条約への参加を拒んでいます。しかし、「核抑止」は、いざという時に非人道的な核兵器を使うことを前提にした威嚇に他なりません。被爆国の政府が、こうした立場をとることは許されません。「核抑止力」論と決別する時です。

 「被爆国日本は、禁止条約に署名、批准を」の声が思想や政治信条の違いを超えて、わき起こっています。日本政府が禁止条約に参加すれば、世界に大きな前向きの変化を起こすに違いありません。それを実行する野党連合政権の樹立が強く求められます。


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