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2020年10月13日(火)

きょうの潮流

 再再演が始まったこまつ座の芝居「私はだれでしょう」(井上ひさし作)は、いまを照射しているかのような作品です。舞台は終戦直後の日本放送協会。実在のラジオ番組「尋ね人」をめぐって占領下の言論統制と職員の攻防を描きます▼戦前戦中、国策の伝達機関だった日本放送協会は戦後、「マッカーサー元帥命令の伝達機関」に。「言論の自由」を奨励する一方で占領軍の批判は許されず、その自由はあくまで占領政策の枠内での自由でした▼印象深いせりふがあります。「アメリカ占領下では、コトバの煙幕をうまく使って生きて行くよりほかに道はない」。例えば「アメリカ兵が娘さんを手込めにしてジープで逃げた」という事実を「大きな男が乱暴をはたらいて速い車で逃げた」と言い換える▼具体的で明快な表現を避ける「コトバの煙幕」は現実政治でも多用されています。日本学術会議の問題で、菅義偉首相が任命拒否の理由として繰り返す「総合的、俯瞰(ふかん)的」観点という言葉も一例でしょう▼「学問の自由」への政治介入を日本学術会議の在り方の問題にすり替える。看過できないのは、一部のメディアがその片棒担ぎをしていることです▼11日放送の「日曜報道 ザ・プライム」(フジ系)は、「徹底議論!学者の国会」と称し、50分近くを論点そらしに費やしました。それでも番組と同時進行で行った視聴者調査では、「菅首相の説明に納得いかない」が「納得できる」より10ポイント高い結果に。すり替え論は底が割れているようです。


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