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2019年12月8日(日)

きょうの潮流

 記念写真に納まった9人は、だれも帰ってきませんでした。入隊後に軍服が支給され、ばらばらになる前に撮った同郷の仲間との一枚。しかし、ふるさとで顔を合わせることは二度とありませんでした▼岐阜県の東南端にある上矢作(かみやはぎ)町(現・恵那市)。アジア・太平洋戦争によって当時の人口のおよそ5人に1人が出征し、256人が命を落としました。とくに南方戦線で多く、先の9人は全員フィリピン・レイテ島のたたかいで戦死しました▼兄が犠牲になった現地に2度も足を運んだ伊藤一夫さん。線香をあげ海岸の石を拾い、上矢作から持っていった水で位牌(いはい)を拭いたといいます。飲みたかったであろう故郷の水が兄に届くように▼文字通り、紙一重で生き残った人の証言や遺族の無念の叫び。山深いひとつの集落が味わった悲しみの結晶は、あの戦争の縮図のよう。その体験を「平和の風」と題するニュースで紹介してきた上矢作九条の会が冊子にまとめました▼戸数700台の町で200部ほどを配るというニュース。あの人がつらい思いを人前で話すなら私もと話題になり、部数が増えていきました。口をそろえるのは、こんなことを子や孫に経験させたくないと▼太平洋戦争の開始から78年。ふたたびいま戦争への道が為政者によって敷かれようとするなか、実相を語り継ぐ草の根の活動は、それに歯止めをかける大きな力です。「平和の風」を吹かせてきた会員たちは願いを込めます。「声なき声を探り、想像し、次世代に送りたい」


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