2019年8月4日(日)
きょうの潮流
敗戦の荒廃と混乱がまだ続いていたころでしょう。燃え盛る民主化運動の一方、アメリカの対日占領政策が急速に転換していった時期でもありました▼1949年7月15日夜。国鉄中央線・三鷹駅の車庫に止めてあった電車が暴走。ホームをぶちぬき、駅前の交番を壊して民家に突っ込みました。巻き込まれた6人の市民が亡くなり、20人が重軽傷を負いました▼警察や検察は、すぐに国鉄の労働者と日本共産党員が引き起こしたと断定。マスコミもこぞって喧伝(けんでん)し、事件の翌日には時の吉田茂首相が声明を発表。「不安をあおる共産党―虚偽とテロが戦法」という見出しをつけて報じました▼同年に連続して起きた下山、松川と並ぶ国鉄三大事件。『三鷹事件の真実にせまる』の著者、梁田政方(やなだ・まさかた)さんは「アメリカ占領軍を背景にしながらも、時の政府、民自党や国鉄当局、国鉄労組内の反共グループ、地域の保守勢力まで含む大がかりな、半ば公然とした謀略事件」と指摘します▼それから70年。東京高裁は先月末、三鷹事件で死刑確定後に獄死した竹内景助さんの再審を退けました。弁護団が自白のみを証拠とした不当性を訴え、数々の事実や新たな証拠を示していながら▼なぜ権力犯罪が起き、“無実”の死刑囚が生まれたのか。運動を続けてきた人たちは真相を明らかにすることがこの国の今につながると。竹内さんは亡くなる前に詩を残しています。「虐げられても耐へてきた力を/心を/手を/結び合おう/がんばれ/がんばれ/がんばれ」








