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2019年3月18日(月)

きょうの潮流

 悲しげで、どこか優しいトランペットの音色が風にのって街に響きました。東京は神田神保町。歴史ある文化の発信地の一角に、まちの記憶をつなぐ新たなプレートが立ちました▼「軍国主義の時代、国民弾圧の治安維持法に反対した唯一の代議士。1929年3月5日夜、定宿の光榮館があったこの地で右翼暴漢の凶刃により、39歳の生涯を閉じる」。きのう除幕されたプレートに刻まれた文字。ここは、命をかけて反戦平和を貫いた山本宣治の終えんの地です▼「花を植えて世の中を美しくしたい」と夢見た心優しき青年は生物学者を志しました。しかし侵略に突き進む時代の激流のなかで、彼は労働者や農民の願いを背に国会の場に。力ずくで民を弾圧していった時の専制政治に立ち向かいました▼戦争や圧政にあらがう民衆の代弁者だった山宣。今年は非業の死を遂げてから90年、生誕130年の節目です。90回目の墓前祭が行われた京都をはじめ、脈々と遺志を継ぐ決意が各地で改めて▼国民の権利や自由を奪い、戦争する国づくりにまい進する安倍政権のもとで、いま私たちが山宣の生き方から学ぶことは尽きない。時代を逆戻りさせない力を結集させる大切さとともに▼「誰とも差別せずに接していた」。医療に携わる孫の山本勇治さんは、祖父は人を愛していたと。〽赤旗をかかげ3月の/嵐を衝(つ)きて進む―。社会の進歩を妨げるものとたたかう人びとを励まし、勇気づけてきた山宣の追悼歌。あとにつづく、われらを見守るように。


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