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2019年2月8日(金)

きょうの潮流

 最期までたたかい抜いた人生でした。先月92歳で亡くなった日本軍「慰安婦」被害者、金福童(キム・ボクトン)さん。日本政府に心からの謝罪を求めてきた金さんから戦後70年の節目の年、その過酷な半生を直接聞く機会に恵まれました▼14歳のときでした。現在の韓国南部・慶尚南道梁山の家に日本人と一緒に区長と班長がきて「娘を、軍服を作る工場に出せ。拒否すれば反逆者だ」と脅します。連れて行かれた先は中国・広東の慰安所▼1日に15人、時には50人を超える軍人の相手をさせられます。インドネシアやマレーシアなど前線を連れ回され、米軍の捕虜収容所などをへて、終戦から2年後の1947年に帰国を果たしました▼92年に公表し、世界で体験を語ってきました。なぜこんなに力強く歩みを進められるのか―。疑問をぶつけると「私たちはお金がほしいわけじゃない。女性だもの、知られるのがつらいときもあった。でも私たちは尊厳を回復したいのです」▼晩年は戦時性暴力の根絶に尽力するとともに、日本にある朝鮮学校への支援を惜しみませんでした。植民地支配下で名前も言葉も青春までも奪われた金さんにとって、いま日本政府によって高校無償化制度から排除される朝鮮学校の子どもたちの姿が自らと重なったのでしょうか▼「日本人が憎いわけではありません。安倍政権が始めたことではなくても、日本がやった戦争の責任はとるべきです」。韓国政府に登録した存命中の被害者は23人。私たちに残された時間は長くありません。


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