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2018年12月2日(日)

笹子トンネル事故6年

原因究明 力の限り

長男失った森さん夫妻

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(写真)重之さんのアルバムをみる和之さん=11月、茨城県内

 9人が犠牲となった笹子トンネル天井板崩落事故の発生から、2日で6年となります。森和之さん(67)と美世さん(65)は亡くなった長男の重之さん=当時(27)=をいとおしみ、事故の原因究明を誓っています。(矢野昌弘)

重之のこと忘れるわけない。事故、昨日のよう

 重之さんは山梨県内の温泉からの帰り道に事故にあいました。事故では、重之さんら東京都内のシェアハウスで暮らす青年5人が犠牲となりました。

 「親がいうのもなんですけど、素直でやさしい子、気配りもよくしていた。一時期、職場が近くだったこともあって、昼食をよく一緒にしました。おとなになってからも、よくしゃべりましたね」と語る和之さん。

 アルバムには、音楽イベントやキャンプで楽しげな重之さんの姿がありました。

最後の姿

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(写真)森重之さん

 2人が最後に重之さんと顔を合わせたのは、事故の1週間前でした。美世さんは「家からシェアハウスまで、私が車で送ったのが最後でした。先週会った人が急にいなくなったショックの感覚が強い」といいます。

 これまで和之さんと美世さんは、名前を公表しての取材には応じてきませんでした。「事故のことを話すと、息子の死を改めて認識しなければならない。仕事の場などでふれられたくなかった」(和之さん)からです。和之さんは昨年の定年退職を機に取材に応じるようになりました。

 事故から6年―。5人の遺族は、中日本高速道路とその子会社を相手どった民事訴訟(遺族側勝訴)、当時の役員に損害賠償を求めた訴訟(遺族側敗訴)、役員らを刑事告訴(甲府地検が今年3月に不起訴)で、原因究明を求めてきました。

 和之さんは、中日本高速に損害賠償を求めた裁判で「毎日、毎日、『重之は本当にいなくなったのか』と問い続けています。この一瞬、一瞬を息子に与えてやりたい。最後の抱擁もできなかったこと、勤務先の退社手続き、携帯電話の解約など息子の生活記録を解消していったこと、これら一つ一つがどれほどつらく、悲しく、くやしいことか想像できますか」(2013年7月)と陳述しました。

 今も、その思いは変わりません。

 「息子のことは当然、忘れられるわけがないし、事故が昨日起きたような感覚に変わりはない。今も重之あてに、ダイレクトメールも含めていろんなハガキが来ますけど、捨てられない」(和之さん)

 遺族らは8月、役員らを不起訴にした甲府地検の処分を不服として検察審査会に申し立てています。

支え合い

 美世さんは「裁判では、事故直前に打音点検をしなかったことに争点が絞られましたが、私たちの根本的な疑問は、『なぜ危険な天井板を残してきたのか』ということ。この疑問を解明してもらえないままの6年だった」と問いかけます。

 和之さんはいいます。

 「夫婦2人だけだったら打ちひしがれたままだったかも。私たちには5人の遺族の支え合い助け合いがあります。できる限りたたかうのが責務だろう。中日本高速は弁解のための答えではなく、なぜ天井板を撤去しなかったのか、社内の意思決定あるいは不作為が起きた過程を明らかにしてほしい。子どもたちのためにウヤムヤにしたくない」


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