2018年10月25日(木)
きょうの潮流
市井には治世への不満が渦巻き、新風を求める声が日増しに高まっていました。明治維新から50年。戦争に明け暮れる日本は今度はシベリアに出兵。国内では米騒動が全国にひろがります▼そんななかで成立したのが原敬(はらたかし)内閣でした。わが国初の本格的な政党内閣、藩閥政治からの脱却、平民宰相。当時の新聞はこぞって持ち上げましたが、国民の願いや期待からはかけ離れていました▼原敬自身、盛岡藩家老の子孫。維新後に外務次官や大阪毎日新聞の社長を務め、古河財閥の副社長にもなっています。他の大臣も同様で、この内閣の政策は資本家と大地主の利益に奉仕するものでした(歴教協『日本の歴史5』)▼歴史学者の服部之総(しそう)も、平民宰相という呼称を幻想めいた代名詞としたうえで、「原敬に民主主義者だった痕跡は爪の垢(あか)ほどもない」と断じています。そうした人物の言葉を、安倍首相は所信表明で引用しました。民意に向き合う謙虚さをアピールするために▼米騒動から生まれた首相は民衆とともに歩もうとはしませんでした。その姿は今の首相と重なります。いくら言葉で取り繕っても、みずからの行動がそれを打ち消しています▼相変わらず強い日本を強調する首相。しかし、それを追い求めた維新からの国づくりは国民を痛めつけ、侵略戦争の末に破綻しました。戦後の平和な歩みはその反省のうえに。明治150年の歴史を丸ごと賛美するような人が「常に民意の存するところを考察すべし」とは、なんともおこがましい。








