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2018年10月1日(月)

日本軍戦争跡をたどる

731部隊下部組織「岡9420部隊」

“ペストノミ”大量製造

マレーシアとシンガポール

 東南アジアのマレーシア、シンガポールで、侵略した旧日本軍が行った一般住民の虐殺は、今も残る深い傷痕となっています。「日本の戦争はアジア解放のためだった」という妄言が見られるなか、日本のアジア侵略を知る一端として、中国で細菌戦や人体実験を行った陸軍731部隊の下部組織、東南アジアで暗躍した細菌兵器製造部隊・岡9420部隊の跡を追いました。(山沢猛)


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 シンガポールから海峡を渡り、隣国マレーシアの南端、ジョホール州へ。さらに20分ほど車で北に走り、公道をそれて緑の丘を登ると、林の中に時計台のある2階建ての建物が見えてきました。タンポイにある旧ペルマイ精神病院の建物です。アジア・太平洋戦争で日本の南方軍防疫給水部という名目の、暗号名で岡9420部隊と呼ばれた部隊の、細菌兵器製造拠点だったところです。

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(写真)高嶋伸欣氏

 南北約6キロメートルに及ぶ広大な敷地は、秘密保持に適していました。今は州保健局の一部になっています。

 「あの時計台に針がついていないのは、病院を占拠した日本軍が敗戦直前に時計台をはずして機関銃の台座を据えた。戦後、時計台の形だけ復元されたからです」。こう語るのは、高嶋伸欣氏(琉球大学名誉教授)です。この建物が、東南アジアでの細菌兵器製造の施設であったことが、病院内の配置図、働いた当事者の証言、軍資料などで確定されました。

“毒化ノミ爆弾”投下を想定

 74年前、シンガポール中心部にあった岡9420部隊の本部から同じ道をトラックで来てここで働いた、一人の日本人軍属がいました。戦後、『ノミと鼠(ねずみ)とペスト菌を見てきた話 ある若者の従軍記』を私家版で出した静岡県出身の、竹花京一氏です。

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(写真)左端が軍属として細菌戦部隊の仕事をしていた竹花氏。同氏の著書から

 竹花氏によると部隊は3隊に分かれていました。

 井村隊(軍医中尉)はネズミの捕獲や飼育を担当、飼料はほとんどサツマイモでした。中安隊(同)はノミの養殖とその研究でした。

 江本隊(軍医大尉)は、ペスト菌株の保持、菌の増殖、少量のワクチンの製造などを行っていました。この隊の重要な仕事は「毒化作用」でした。ネズミにペスト菌を注射し、発病したネズミにノミをたからせ、ノミに血を吸わせ胃袋にペスト菌を吸入させる、この作業が「毒化」でした。製造した大量のペストノミをケースにいれ陶器爆弾で投下する、これが細菌兵器です。

 ペストはネズミと人間に感染します。中世ヨーロッパで大流行をくりかえした、高熱を発する死亡率の高い急性感染症で、黒死病ともいいました。

 竹花氏は水から熱湯や蒸気をつくるボイラーマンの経験があり、江本隊で約1年間、ガラス容器の滅菌、洗浄、分類などの作業をしました。

 部隊はペスト菌とノミを扱うことから、事故で死亡したり足を切断したりする犠牲者を多く出しました。「部隊では葬らず公表もしなかった。処理して遺骨が(日本の)留守宅に送られていればいいが、多くの遺体があのタンポイの丘に眠ったままではないか」。竹花氏は振り返っています。

ネズミ5万匹 日本から空輸

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(写真)戦時中、日本軍の細菌兵器製造に使われていた旧ペルマイ病院の建物。現在は州保健局

 1944年には日本軍の劣勢は明らかになり、戦況を挽回すべく、陸軍参謀本部は「ホ号(細菌戦)」作戦でのペストノミの大増産の号令をかけます。その増産の障害になったのが、ネズミでした。ノミは約30日すると死んでしまいます。生きのいいノミを培養し確保するには、大量のネズミが必要でした。

 “悪魔の部隊”731部隊の下部組織、岡9420部隊には“空を飛んで”ネズミが大量に供給されました。1993年に全国を巡回した「七三一部隊展」が始まったとき、南方軍防疫給水部に所属した元輜重(しちょう)隊員から証言が寄せられました。

 「日本からシンガポールまで5万匹の鼠と、蚤(のみ)を、731部隊の専用機3機で何回か輸送しましたよ。…ペスト蚤を作るため大量の鼠が必要でしたが、その飼育は埼玉県でやっていたんです。埼玉から東京の軍医学校に運ばれてくる。立川の飛行場に持って行き、そこから飛行機でシンガポールに空輸したわけです」

 別の陸軍幹部の日誌には埼玉の農家だけでなく茨城、栃木、千葉でも飼育とあります。マレーシアでも内陸の学校敷地でネズミ飼育とサツマイモの生産を行っていました。

現地で安倍政権に懸念の声

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(写真)リム・ショウビン氏

 竹花氏の著書で、先輩の軍属が731部隊に所属した経歴があり、生体実験の1例として中国人捕虜に狂犬病菌を注射して、発病から死亡までを詳細に記録したことが明らかにされています。

 シンガポールの日本占領期の研究者、林少彬(リム・ショウビン)氏は「731部隊には四つの支部が、北京、南京、広東、シンガポールにあった。シンガポール支部の下にさらにマラヤ、インドネシア、フィリピン、パプア・ニューギニア、タイ、ミャンマーに支隊があった」と語ります。

 岡部隊の本部は、シンガポールの英国エドワード七世医科大学を占拠して設置されました。現在のシンガポール保健省の建物です。

 731部隊の組織をめぐっては、西山勝夫滋賀医科大学名誉教授などが、国立公文書館と折衝し詳細な隊員名簿(「留守名簿」)を公開させました。各防疫給水部の全名簿の刊行(不二出版)が始まっており、全容解明に期待が集まっています。

 高嶋氏は「岡9420部隊はペストノミの生産をやったが、生体実験はやっていなかった、実戦で同部隊の細菌兵器を使う前に敗戦になったようです。しかし、世界に秘密にして細菌兵器を製造した犯罪自体が問われています」と指摘します。

 そして「毎年8月15日に行われるマレーシアの住民虐殺の追悼式や、2月15日のシンガポール『血債の塔』での追悼式に参加してきましたが、ここで過去の事件とともに、改憲を狙う安倍政権を懸念する声が上がり続けていることを忘れてはなりません」と語ります。

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(写真)ペルマイ病院内の細菌戦部隊の施設略図。竹花京一氏著書から作成


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