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2018年8月9日(木)

きょうの潮流

 あの日あの時、雲がなぜ途切れたのか。1945年8月9日午前11時2分。長崎への原爆投下の経緯を思い返すたび、身もだえするような思いに襲われます▼当時、米軍は広島に次ぐ2発目の投下目標として、小倉市(現・福岡県北九州市)を想定していました。しかし、視界不良のため断念。第2目標の長崎市に切り替えました。その長崎上空も分厚い雲に覆われていました。爆撃機の燃料が残り少なくなり、最終判断が迫られる中、一瞬、雲が途切れました▼米軍はこの雲の切れ目を見逃しませんでした。午前10時58分、投下された原爆は4分後に長崎市上空でさく裂し、爆心から1キロ圏内の人はほぼ即死しました。放射線に焼かれ、1年以内に亡くなった人は約7万4000人。一瞬の偶然が、その日長崎市にいた人々に過酷な運命を与えたのでした▼なぜ、原爆を投下したのか。米国は「早く戦争を終わらせるため」「多くの人の命を救うため」などと正当化していますが、今なお真相は解明されていません。しかし、多くの市民を瞬時にして殺害する原爆の非人道性が広島で証明された直後の長崎への原爆投下は、どんな理由をあげても許されない、大虐殺そのものです▼長崎の後も朝鮮半島やベトナム、キューバなどで核兵器が使用される危険が何度もありました。使用されなかったのは、わずかな幸運のおかげだったことが分かっています▼73回目の夏。長崎が、人類最後の戦争被爆地であり続けなければならない、とあらためて思います。


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