しんぶん赤旗

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日本共産党

2018年6月25日(月)

きょうの潮流

 史上初の米朝首脳会談で世界中に名が知れたセントーサ島。平和へと向かう歴史的な舞台となった地はシンガポールの観光地ですが、日本人には忘れてならない歴史があります▼第2次大戦中、日本軍がシンガポールを占領したのは1942年2月。その数日後、戦時国際法に反して多数の中国系住民を虐殺しました。現地で「大検証」と呼ばれる事件です。セントーサ島の沖合も殺害現場の一つでした▼島北東部の海岸は華僑の死体が多く流れ着いた場所で、虐殺の碑があります。占領下で日本軍の「慰安所」が設けられ、島には朝鮮半島からだまされ連れてこられた女性たちがいました。陸軍の通訳だった永瀬隆さんが証言しています▼近衛連隊の歩兵大隊が島にいて、隊長は「朝鮮の慰安婦が配属されるが、日本語教育をしてくれ」と。永瀬さんは自分の仕事ではないと思ったものの、島の王様気取りだった隊長の言に従ったといいます▼日本語を教えた女性のひとりはこんな話を。「昭南島(シンガポール)の陸軍の食堂で働く約束で支度金百円をもらって軍用船で来た。ところが着いたとたん、おまえたちは慰安婦だといわれた」▼シンガポールの中心地には「血債(けっさい)の塔」が立ち、政府主催の追悼式が毎年2月に開かれます。血債とは血塗られた負債。アジアに平和を築く出発点は日本が過去に侵略し、不幸をもたらした地でもありました。歴史の事実を認め、その反省の上にアジアとの友好を育む。日本政府が果たすべき責務はここにも。


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