しんぶん赤旗

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日本共産党

2018年5月13日(日)

きょうの潮流

 “する男”と“しない男”の分岐点は、セクハラを“男性問題”として主体的に受け止められるかどうか―。長く労働相談の仕事に携わった金子雅臣さんが『壊れる男たち』でふれています▼金子さんがこの本を出したのは12年前。当時、本紙のインタビューにこうも答えています。「男性はみんな加害性があるかというと、そんなことはない。分けるのは他人の痛みを共感できるかどうかだと思います」▼成り行き、酒の上のこと、合意だったはず。告発された者たちが相も変わらず口にする言い訳。なぜ彼らはみずからの加害に無自覚なのか。そこには、相手の人格を否定してでも自分の欲望を遂げようとする差別的な姿勢が見えると▼単なる鈍感さでは済まされない人権侵害。この人など、その典型でしょう。前財務次官のセクハラ問題をめぐり、「はめられた可能性は否定できない」「セクハラ罪という罪はない」とくり返してきた麻生太郎財務相です▼傷つけられた被害者をさらに苦しめる。当事者が辞任しても、再発防止の研修会を開いても、トップに立つ人がこれでは組織全体が無反省とみられて当然です。暴言王といわれる麻生氏にはセクハラへの認識とともに、他者への共感や敬意が著しく欠けています▼安倍政権下で女性をさげすむ発言が相次いでいます。そういえば、あの「女性は産む機械」と口にしたのも第1次安倍内閣の大臣でした。麻生氏のような人物がいつまでも中枢に居座る政権では“する男”がはびこるだけです。


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