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2014年1月21日(火)

普天間基地 即時・無条件撤去しかない

名護市長選 稲嶺市長圧勝

「たらい回し」路線破綻

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 「辺野古の海にも陸にも基地を造らせない」との公約を貫いた稲嶺進市長が圧勝した沖縄・名護市長選(19日)。その結果は、米海兵隊普天間基地(宜野湾市)の「たらい回し」路線が完全に破綻し、「即時無条件閉鎖・撤去」へと踏み出す以外に道がないことを示しました。


写真

(写真)名護市長選挙に勝利し、支持者と喜ぶ稲嶺進氏=19日午後9時45分、沖縄県名護市

「普天間基地は無条件撤去しかない」

 昨年末、稲嶺陣営の選対本部長を務めた比嘉祐一市議会議長が市内の懇談会でこう表明し、出席者を驚かせました。比嘉氏は長く自民党会派に所属。現在も自民党籍があり、日米安保体制を肯定する立場です。

 地元紙の世論調査を見ても、普天間基地問題の解決方法として、「無条件閉鎖・撤去」と答える人が急増しています。

 「琉球新報」が昨年12月30日に報じた世論調査では、「無条件閉鎖・撤去」が26・8%で「国外移設」(28・2%)に次いで2番目でしたが、今年1月14日付調査では31・8%に増えて最多でした。昨年7月の19・6%から比較すると、大幅に増えています。

 また、昨年末に映画監督のオリバー・ストーン氏ら米国の有識者が出した声明も、普天間基地は沖縄戦で米軍が住民の土地を奪って造ったものであり、「返還に条件がつくことは本来的に許されない」「普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきだ」と述べ、「即時・無条件撤去」を求めています。

「移設」進まず

 こうした声が増えた理由は、「移設先」探しの破綻が、だれの目にも明白になっているからです。

 1995年に発生した米兵による少女暴行事件での県民の怒りをかわすため、日米両政府は96年4月、米海兵隊航空部隊の拠点である普天間基地の「移設条件つき返還」で合意。名護市辺野古を「移設先」とすることを正式決定しました。

 しかし、県民の反対で計画が進まず、2009年に発足した鳩山民主党政権が再び「移設先」探しに着手。無残な失敗をとげ、再び辺野古に戻ったのです。

 同時に、「国外移設」=グアムへの在沖縄海兵隊も米国の財政事情などにより、遅々として進んでいません。

 さらに、今回の名護市長選の結果が決定打となりました。安倍政権は強権的な「辺野古移設」推進路線を取りましたが、稲嶺氏の勝利で市民の「新基地ノー」の意思が明確に示されました。

「合理性ない」

 県内で新基地に反対する人々のなかには、「移設先」を示さずに「無条件閉鎖・撤去」を主張するのは無責任との雰囲気が長くありましたが、これが変わりつつあります。

 市長選告示直前、名護市内で開かれたシンポジウムで、柳沢協二元内閣官房副長官補は「海兵隊が沖縄にいる軍事的合理性は何もない」と指摘しました。

 仮に米海兵隊が、同じ沖縄にいる「地上部隊との一体性」を理由に普天間基地の無条件撤去を拒否するなら、海兵隊の全面撤退が大きな声にならざるをえません。(竹下岳)


4000票差の歴史的勝利

地元紙も「大勝」「大差」

写真 地元紙も「大勝」「大差」と報じる

 名護市長選での稲嶺進氏の勝利が歴史的・画期的なものであることは、得票からも読み取ることができます。

 稲嶺氏は1万9839票を得て、安倍政権が全面支援する末松文信氏に4155票差で勝利しました。前回並みの投票率(76・71%、前回比0・25%減)で得票数を1889票伸ばしています。

 これについて地元紙は「大勝」「大差をつけ再選」などと報じています(写真)。それは、辺野古の新基地問題が争点になって以降の名護市長選挙は、2002年を除き、いずれも僅差(きんさ)での大接戦だったからです。

 名護市民投票で市民が「基地建設反対」の民意を示した直後に行われた1998年の市長選では、1150票差で基地建設反対派が落選。06年は基地反対派が分裂しましたが、これを合計すると、新基地推進派との差は1381票差でした。10年に稲嶺氏が初当選したときは新基地推進派の現職に1588票差で競り勝ちました。

 今回は、安倍政権が「辺野古移設推進」を狙い、自民党の沖縄関係の国会議員や県連の公約まで強圧で変えさせ、県知事に埋め立てを承認させました。さらに市長選の新基地推進候補の一本化にまで自民党本部が乗り出しました。同党の石破茂幹事長が500億円の「名護振興基金」創設をちらつかせ、企業・団体を締め付けるなど、国家権力を総動員しての組織戦を展開しました。

 それだけやっても前回より差を広げられた末松陣営は大打撃を受けました。19日夜、末松氏は「全く無念」とうなだれ、「善戦・健闘」などと胸をはる関係者は皆無でした。

 「稲嶺圧勝」というにふさわしい結果です。


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