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2018年1月20日(土)

「赤旗」創刊90周年 シリーズ 戦争とどう向き合ってきたか

真実伝え 反戦訴える

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 「赤旗」は第2次世界大戦後も、侵略戦争に反対し、戦争の真実とその実態を広く人々に知らせる役割を果たしてきました。ベトナム戦争では、米国によるウソやでっち上げを暴きました。イラク戦争でも、その違法性、残虐性を批判し、戦争の即時中止・撤退を訴えました。(鎌塚由美、松本眞志)


違法性・残虐性を批判

イラク戦争

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(写真)イラク開戦に反対して、世界600以上の都市で1000万人以上が参加した反戦デモを報じる2003年2月17日付の「赤旗」

 「赤旗」は2003年3月に始まった米軍を中心とするイラク戦争が違法で、残虐なものであることを伝え続けました。

“ウソだった”

 イラク戦争はウソから始まりました。「フセイン政権の大量破壊兵器保有」が開戦の口実とされましたが、04年9月、当時のパウエル米国務長官が「いかなる備蓄も発見されておらず、今後も発見されないだろう」と議会で証言。戦争当事者が“ウソだった”と認めました。

 開戦に際し、日本の商業紙が戦争や武力行使に反対できない中、「赤旗」は「米英、イラク攻撃強行」と報じ、「アメリカの無法なイラク攻撃を糾弾する」と表明、侵略戦争に正面から反対しました。1年半後、ウソを認めたパウエル氏の議会証言を1面トップで大きく報じたのは、日本の新聞では「赤旗」だけでした。

 イラク占領の長期化は、侵略する側の矛盾を深めました。カイロ特派員は、宗派間対立や占領軍への攻撃が激化するなか、米軍の早期撤退を求める現地の人々の声を報じました。

 ワシントンからは、“イラクで米軍は無実の市民を虐殺している”と告発に立ち上がったイラク帰還兵の声をはじめ米国各地で広がる反戦の動きを伝えました。

 政権交代でイラクへの派兵を段階的に撤退させるオーストラリア(07年9月)や、1000人の駐留軍削減を発表した英国(同年10月)など、当初38カ国だった「有志連合」の国々が次々と撤退する様子をつぶさに報道し、米国の孤立ぶりを浮き彫りにしました。

 こうした「赤旗」の報道について、評論家・作家の故・加藤周一さんは高く評価していました。

 「イラク問題をめぐるあらゆる情報が手に取るように分かるのはまさに『赤旗』のみである。とりわけ地球を覆う反戦の世論、デモを、その中で孤立するブッシュ(米大統領)と米国、それにますます追随する日本政府の姿をこれほど見事に包括的、持続的に浮き彫りにする報道をしているのは『赤旗』だけである」

判決の根拠に

 さらに「赤旗」のイラク問題報道は、日本での反戦・平和のたたかいでも活用されました。

 日本政府は米国の無法な戦争に加担し、自衛隊を04年1月に派兵しました。

 イラク派兵差し止め訴訟が全国で起こり、多くの市民が「加害者になりたくない」と原告に加わりました。

 08年4月、名古屋高裁で、航空自衛隊がイラクで米軍を空輸することは武力行使にあたり、違憲だと認める画期的な判決が出ました。

 一審、二審を通して弁護団が提出した証拠の中には多くの新聞報道があり、その一角を占めたのが「赤旗」でした。提出された資料に占める日本の新聞報道の56・3%(一審)、35・7%(二審)が「赤旗」の記事でした。「赤旗」報道も判決の根拠となりました。

違憲判決導く重要な役割

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(写真)裁判資料を前にする川口創弁護士

 「イラク派兵差し止め訴訟弁護団」事務局長を務めた川口創(はじめ)弁護士の話 名古屋での提訴では、3200人超となる市民が原告に加わり、裁判の合間に勉強会も開き、手分けしながら新聞報道を切り抜くなどして証拠を準備しました。

 サマワから陸上自衛隊が撤退した06年7月以降、国内では報道がパタッと減りました。しかし、「赤旗」は、バグダッドでの米軍の掃討作戦をはじめ報道し続けてくれた。違憲判決を導くうえでも重要な役割を果たしました。

 米軍が中部ラマディを包囲し、子どもたちが学校に行けなくなっているとの現地の声など、「赤旗」の立体的な報道が、裁判所を動かしました。米軍が07年の1年間で前年の6倍となる1447回の空爆を行っていたという記事は、判決文に引用されました。

 現地メディアの紹介を含め、国際的な情報を国内に伝えるという点でも、有志連合に派兵する他国の状況や国際世論を知るうえでも、「赤旗」の情報量は断トツでした。国際報道に加えて、イラク戦争で米軍と自衛隊の一体化が進んでいるとの報道を証拠として示せたことも重要でした。

 イラク戦争をメディアはどう伝えたのか。われわれはイラクでどう加害者であったか。その実態をもう一度見つめ直し、確認することは、憲法9条が岐路に立たされた今、急務だと思っています。

米国のでっち上げ暴く

ベトナム戦争

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(写真)「トンキン湾事件」のウソを暴いた1964年8月6日付の「赤旗」

 ベトナム戦争は、ベトナムが1954年にフランスの植民地支配を打ち破った後、米国が同年のジュネーブ協定合意を無視し、南ベトナムに干渉して始まりました。

 米国は南ベトナムで米国に従属する政権を樹立して解放勢力を一掃、北ベトナムでは大規模爆撃(北爆)によって政府と国民の屈服をもくろむ侵略戦争を拡大しました。全体で数百万の犠牲者を出し、第2次世界大戦後、最大規模の戦争となりました。

 「赤旗」(当時は「アカハタ」)は当初から、ベトナム戦争を侵略戦争と告発。北ベトナムの首都ハノイに常駐支局を設置して、戦争の全過程を報じ、米軍の無法とベトナム人民のたたかいを世界に伝えました。

 64年8月、米国はベトナム戦争への本格的介入を開始しました。その口実にした「トンキン湾事件」、北ベトナムのトンキン湾でベトナム魚雷艇が米駆逐艦を攻撃したという事件は、米軍によるでっち上げでした。

侵略だと指摘

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(写真)石川文洋さん

 しかし日本の商業紙はいっせいに「北ベトナムの攻撃を確認」(「朝日」8月3日付夕刊)、「米、北ベトナムを爆撃 再度の魚雷攻撃に対抗」(「読売」8月5日付)などと米側発表のままの報道を展開しました。

 これに対し「赤旗」は「米、北ベトナムを公然と武力攻撃 侵略断じて許さない」と事態の本質をずばり報道。「米艦領海に侵入挑発 “公海での交戦”はでたらめ」(8月6日付)と米側のウソを暴き、大規模な北ベトナム爆撃を開始した米軍の無法を訴えました。

 当時、ベトナム現地でカメラマンとして取材した石川文洋さん(79)は「赤旗」が米国の侵略的意図を早くから見抜いていたと評価します。

 「多くのメディアが米国の情報をベースに報じていた一方で、『赤旗』は独自の視点と取材で北ベトナムの『挑発』を否定し、米国の侵略との姿勢を崩しませんでした」

 石川さんはベトナム戦争で、世界のメディアが力を発揮して米軍を撤退させる一翼を担ったと指摘します。

 「日本の新聞では『赤旗』です。日本共産党と『赤旗』が日本のベトナム反戦運動で大きな役割を果たしたことは間違いない」

世界の声伝え

 ベトナム戦争が拡大するなかで「赤旗」は、日本だけでなく世界中で、戦争に反対する人々の声を伝えました。たとえば「ベトナム反戦デー」の69年10月15日に全米各地で行われた数百万規模の抗議行動については、「あらゆる階層の人びとが一つになってあげた反戦の叫びは、ニクソン政権に『即刻撤兵』を迫る巨大なコーラスとなってとどろきわたり、ホワイトハウスをゆすぶりました」と報じています。

 ベトナム人民の強固な抵抗と米国や日本、世界の反戦運動の広がりの中、米軍は75年4月、ベトナムから撤退。ベトナム人民の勝利に終わりました。

 「赤旗」はその後も、米軍がベトナムの密林で使用した「枯れ葉剤」の残虐性や非人道性を告発。侵略した側の米軍兵士が帰国後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに苦しんでいることも伝えています。


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