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2017年3月29日(水)

“なぜ、自分の子が…”

那須雪崩 無言の帰宅 遺族悲痛

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 8人が犠牲になった栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場雪崩から一夜。「まさか自分の子が…」、無言の帰宅をした県立大田原高校生の遺族は28日、最愛の息子との突然の別れを嘆きました。弔問に訪れた友人や近所の人たちは、「明るく元気で、運動ができた」「金曜日に電車であったのが最後だった」と早過ぎる死を悼み語ります。現場では県警などが状況確認を急ぐ一方、春の雪山の登山について専門家からは、雪崩の危険を避けるチェックの重要性を指摘する声が上がっています。

「現場で待ったが」父の佐藤政充さん

 「すべてにおいて真面目で一生懸命な子だった」。亡くなった県立大田原高校1年、佐藤宏祐(こうすけ)さん(16)の父、政充さん(48)は28日、泣きはらした目をふせ、声を絞らせました。

 宏祐さんは、小・中学校では野球をし「4番を打つ子だった」と政充さん。運動会では応援団長を、文化祭では実行委員長を務めました。憧れだった同校に入学し、クラスの「副室長」に選ばれたことをうれしそうに話していました。

 「登山後は充実感が伝わってきた」。山岳部では、仲間や優しい先輩に恵まれ、「登山を将来にわたっての趣味にしたい」と語っていたといいます。

 「山岳部なので事故はつきものと頭のどこかにはあった。まさか自分の子どもが若くして遭うとは。夢の中の出来事のようで、実感がわかない」

 妻からの電話で事故を知ったのは、雪崩発生から約2時間後の27日午前10時半。すぐに学校に向かいましたが、学校側は情報をつかんでいませんでした。現場で待ちましたが、午後5時半、栃木県警から宏祐さんが那須赤十字病院に搬送されたと告げられました。

 県高校体育連盟の登山講習初日の25日朝、学校まで車で送り、別れ際にこんな会話を交わしました。

 「いってくるね」

 「がんばれ。月曜はおばあちゃんが学校に迎えにいくからね」

 政充さんは、目に涙を浮かべて最後に交わした言葉を振り返りました。(砂川祐也)

「明るく元気で」 鏑木さんの友人

 雪崩で亡くなった鏑木悠輔(かぶらぎ・ゆうすけ)さん(17)=栃木県那須町=の自宅には28日午前8時すぎから、友人や近所の人たちがつぎつぎと弔問に訪れました。

 「『日本で2番目に高い山に登った』とスマホで写真を見せてくれた」。そう語るのは、小学校から高校まで一緒という高久蓮さん(17)。小中学校で鏑木くんと野球でバッテリーを組んでいました。「悠輔は速い球を投げるピッチャーで、直球で押すタイプだった」と振り返ります。

 佐藤龍作さん(17)は、保育園のころから鏑木さんと遊んでいました。「クラスなどでもリーダー的存在だった」と肩を落とします。

 鈴木崇太さん(17)は、「金曜日(24日)に電車であったのが最後だった。『じゃあね』と言ってわかれた」と悔しがります。

 同じ大田原高校2年の大嶽享紘さん(17)は、「明るく元気で運動がめちゃくちゃできた。正直言って信じられない…」と語ります。

 鏑木さんは中学の卒業アルバムに、「中学校の思い出は、体育祭です」として、こう記していました。「今までは、人に支えてもらい生活してきたけど、体育祭を通して協力し合うことの大切さを学ぶことができました」(三浦誠)

 日本共産党の小野曜子那須町議は鏑木悠輔さんの自宅を、秋山幸子大田原市議は佐藤宏祐さんの自宅を、それぞれ28日に弔問し、お悔やみをのべました。


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