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2016年5月9日(月)

再批判 自民党改憲案(5)

戦前・緊急勅令の猛威

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(写真)緊急勅令による治安維持法の大改悪を報じる『無産者新聞』(1928年7月4日付)

 緊急事態法制の最も発達した国―。それが戦前の日本でした。

 戦前の大日本帝国憲法には、四つも緊急事態条項がありました。(1)緊急勅令(8条)(2)戒厳の宣告(14条)(3)非常大権(31条)(4)財政上の緊急処分(70条)です。いずれも緊急事態という口実のもと、独裁の強化・確立をめざすものでしたが、最も悪用されたのが緊急勅令でした。

国民の自由奪う

 明治憲法下でも制限的ながら国民を代表する議会が設けられました。緊急勅令は、政府が議会の意思によらず専制を貫き、国民の自由を奪って侵略戦争の道に引き入れる武器として、猛威をふるいました。

 政府が緊急勅令を発動したひとつは、緊急事態の名のもとに国民の運動を弾圧することでした。日露戦争の講和をめぐり国民の不満が爆発した日比谷焼き討ち事件(1905年9月6日)では、緊急勅令による戒厳(行政戒厳)が発せられ、軍隊が出て大量の検挙者を出しました。関東大震災(23年)や2・26事件(36年)でも行政戒厳は使われました。

 もう一つの役割は、議会で否決された法律を緊急勅令で通してしまうことでした。その最悪の例が1928年の治安維持法の大改悪です。

 治安維持法は天皇専制に反対する日本共産党などを弾圧するため25年に作られました。1928年3月15日の共産党大弾圧の後、政府は「国体ヲ変革スルコトヲ目的」として結社した者に対し「死刑又は無期」を導入。さらに「目的遂行ノ為ニスル行為」の処罰を新設し、共産党員でなくとも、同法で処罰できるよう改悪案を出したのです。

 しかし、こんな改悪には帝国議会でも異論が噴出して、審議未了で廃案に。ところが、天皇制政府は緊急勅令で改定を強行したのです。

反省に立脚して

 戦後、新憲法制定の中で「緊急事態条項」は一切置かれませんでした。内閣法制局発行『新憲法の解説』(1946年)は、明治憲法で「これ等の制度は行政当局者にとっては極めて便利に出来てをり、それだけ、濫用され易く、議会及び国民の意思を無視して国政が行はれる危険が多分にあった」と指摘。新憲法は「民主政治の本義に徹し」「立憲的に、万事を措置するの方針をとっている」としました。

 9条2項の戦力不保持とともに、日本国憲法に緊急事態条項がないことは、戦前への明確な反省に立脚するものです。(つづく)


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