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2015年12月1日(火)

2015 とくほう・特報

旧日本軍の中国遺棄毒ガス被害

救済へ新たな段階

支援者ら「日中平和基金」発足させ活動開始

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 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器による被毒事件で、中国の被害住民が日本政府にたいして起こした訴訟は、昨年10月にチチハル訴訟が最高裁の不当判決で終了し、被害者の救済と人権回復、被害の防止などの課題があらたな段階に入っています。 (山沢猛)


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(写真)東京高裁判決(2013年11月)を前に弁護団らと入廷行進する毒ガス被害者の周桐さん(左から3人目)

 1次、2次、チチハル、敦化(とんか)という大きく四つの訴訟が終結したことをうけ、弁護士と支援者は「化学兵器および細菌兵器被害者支援 日中未来平和基金」を発足させ、日本と中国での活動を開始しようとしています。

 「日中未来平和基金」は薬代もままならない被害者に薬代をおくるなど緊急援助をする、本来政府がやるべき補償であることを日本でも中国でも社会的に認識してもらうことを目的としています。

 来年3月には日本の基金関係者が、被害者の多い中国東北部のハルビン市にいき、同地の医者や弁護士と協力して治療活動を予定しています。日本では化学会社、中国で廃棄事業にかかわる企業からも募金をつのることにしています。

 戦後補償の諸裁判にかかわってきた南典男弁護士は「裁判所は不当にも国の法的責任を認めませんでした。現在にいたるも政府は被害者になんの補償もしていません」と指摘するとともに、「被害の先行行為、日本軍による中国での毒ガスの遺棄が原因であるという事実はすべての判決で認定しています」といいます。そして「日本の戦争が侵略戦争であり他国への植民地支配だったこと、その国家の行為によってどれだけの被害を負わせたのか、そこから個人の尊厳の回復をはかることがこの問題でも大事です」と話します。

総数70万発

 旧日本軍は敗戦時に戦犯追及を恐れ、大量の毒ガスを遺棄しました。その総数は政府発表で約70万発です。なかでもソ連軍が侵攻した東北部(旧満州)に集中しています。1990年代後半以降、都市開発がすすむなかで工事現場や川、森林などでそれが姿をあらわし、住民被害を引き起こしました。

 黒竜江省の都市チチハルの事件は2003年8月、市内の建設現場で毒ガス液入りのドラム缶5個が見つかり、うち1個がその場で漏れ出し、液体がしみ込んだ土砂が駐車場、学校、個人宅に運ばれたため汚染が広がりました。労働者や子どもたち44人が被害をうけ、解体した業者が毒ガスを浴び亡くなりました。中国で報道され衝撃を呼びました。

 吉林省敦化市の事件は2004年7月、川で遊んでいた少年2人が刺さっていた毒ガス弾を引き抜いたところ、中から毒ガス液が漏れ出し手や足に浴びました。びらん性のイペリットでした。

 敦化訴訟を担当した菅本麻衣子弁護士は「被害は皮膚や慢性気管支炎だけではすまない、免疫力がさがり、異常に汗をかく、握力がなくなる、記憶力が減退する。小児神経科の医師の診断で子どもには発達障害、知能障害が見られます」と告発します。

 これらの症状は、井戸水に毒ガスの原料であるヒ素が混入し乳幼児に被害が及んだ茨城県神栖市の事件、神奈川県寒川町の海軍工廠跡の工事で起きた作業員の被毒者とも共通しているといいます。

補償努力を

 日本政府は化学兵器禁止条約(1997年発効)にある「他国領域内に遺棄した化学兵器を廃棄する」にもとづき、2004年から中国と協力し廃棄事業をすすめています。神戸製鋼などに委託して回収・隔離した毒ガス兵器の数はまだ約5万発です。

 南氏は「ものの処理は当然ですが、人の被害の防止とそのための調査研究、被害が生じたさいの補償という政策や努力がまったくない」状況だと政府を批判します。


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