2015年8月13日(木)
空の安全を一番に
日航機事故30年 遺族ら追悼登山
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日本の航空史上最悪の犠牲者520人を出した1985年の日本航空123便事故から30年を迎えた12日、事故現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)には、早朝から多くの遺族らが登山し、犠牲者を悼むとともに空の安全を願いました。
手に花束をたずさえ、汗をかき、息を切らせながら険しい坂を上る人々。高齢をおして登る遺族や、元気よく駆け上る子どもたちの姿もありました。
墓標の前で涙をぬぐう遺族。遺族の女性どうしが別れ際に「また来年ね」と、手を振り合う場面もありました。
神奈川県小田原市から夫と小学校5年生の娘と一緒に登った女性(46)は、大阪に住んでいた叔父さん=当時(41)=を亡くしました。東京に日帰り出張した帰りでした。
「毎年欠かさず登山を続けていた母が3年前に亡くなり、今回は母の代わりとして登り、墓標を清めてきました。事故がないのが一番です」と話し、そっと涙をぬぐいました。
夫を亡くした大阪府の女性(72)は2010年に経営破たんし、人員削減を進めて利益を追求する日航や、パイロット不足が露呈した格安航空会社など、空の安全をめぐる現状に胸を痛めます。「今にまた事故がおきてしまわないかと。命が一番大事なはずです。何が大事なのかをもう一度考えてほしい」
同日夕には、上野村の「慰霊の園」で、遺族らが参列して追悼式が行われました。
参列者は献花し、墜落時刻の午後6時56分に合わせて520本のろうそくに火をともし、黙とうしました。
日航機墜落事故 1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航123便(ボーイング747SR―100型機)が離陸12分後に操縦不能に陥り、32分間の迷走飛行後、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落。520人が死亡、重傷を負った乗客4人が救助されました。犠牲者数は単独機の事故としては現在も世界最悪。