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2015年2月17日(火)

抗議テントは眠らない

新基地建設反対、若者ら監視

沖縄・辺野古ルポ

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 どこまでも続く巨大なフェンスに、突如ぱかりと口を開ける沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート。その横に15メートルほどの青いテントがたたずみ、人が出入りしています。新基地建設に反対する抗議テントです。若者たちのたたかいも、ここを拠点としています。2月初旬の一日をみると―。(土田千恵)


写真

(写真)米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、反対集会を行う人々=9日、名護市辺野古

冷えた海風。ダウン着込み、夜更けまで七輪囲む

「電話来た」。資材積む作業車か。テントの空気が緊張する

 午後8時ごろ。日がくれ、那覇市などからバスでテント前に来る人々が帰り、人が少なくなったころに、若者たちは現れます。足りなくなった人手を埋めるためです。

気温3度の夜

 おじい、おばあたちと協力して、基地に向かう埋め立ての作業車を見つけるため、基地の北と南で見張りをします。交代制で、夜通しの番です。

 見張り以外の若者は、ゲート前のテントで待機です。沖縄といえども、海や森が近い辺野古は、3度ほどに気温が下がることもあります。ダウンを着込み、差し入れの、沖縄独特の大きな金時豆を使ったあたたかいぜんざいを味わいながら、七輪を囲みます。

 眠い目をこすりながらも、じんわりと赤い光を放つ炭を見つめ、若者たちの会話は弾みます。たわいもないおしゃべり、恋愛話、工事強行への怒り、これからどうやって基地阻止につなげるのか―。

 「電話が来た」。テントの入り口で小さくささやかれた一言に、スッとテントの空気が張り詰めました。見張りからの連絡なら、ゲート前に飛び出て阻止行動にかけつけなければいけません。車一つ一つが、辺野古の海を壊す資材をいっぱいに詰め込んでいます。

 今回は作業車ではありませんでした。かすかに安堵(あんど)の空気が流れます。テント内ではゆったりとした“ゆんたく”(おしゃべり)がされながらも、「いつなにが起こるかわからない」緊張感は、24時間、200日以上続いています。

 夜もふけたころ、若者たちは、家や宿泊先に帰ったり、テントの寝袋で寝たりします。しかし、テントは横を通るアメリカの巨大な軍用車や、強い海風でゴトゴトザワザワと揺れるのが、ちょっとした難点です。

作業員に抗議

 それから数時間。少しずつ空が白んできたころ、再びテントの熱が上がり、若者や市民が起きだし、集まり始めました。午前6時半〜9時ごろまでは、基地工事の作業員が出勤する時間帯だからです。

 「これ以上、工事を進めるのは許さない」「海で作業に抗議しているカヌー隊のためにも作業員を止めなければ」

 この一心で、ゲートの前に立ちはだかる、おじい、おばあ、各地から訪れたおとなや学生たち。基地の入り口には機動隊が立ち並び、車を止めようとする市民を引き離します。名護市警察署の「通行の邪魔になります。直ちに歩道へ移動してください」というアナウンスが鳴り響きます。「海を、平和を、民主主義を守りたい」。みんな最後まで食い下がります。

 出勤する車も尽きた午前9時ごろ、「わっしょい」という元気な掛け声がひびきました。朝の集会です。朝日が輝く青い空の下、ゲート前でみんなの声が響きます。

 「今日もがんばるぞ」「座り込み続けるぞ」「連帯来るぞ」「那覇から来るぞ」「全国から来るぞ」「みんなでとめよう」「新基地止めよう」「暴走止めよう」「安倍を止めよう」「命を守ろう」「ゲート前で守ろう」―。

 11時半からは、那覇市から毎日来る「島ぐるみ会議」のバスが到着し、100人近くの人々が訪れ、行動に加わります。若者たちはひとまずたたかいを彼らに預け、再び夜に向けて力を蓄えます。

 今月後半から学生は春休みをむかえます。青年たちの行動は、さらにいきいきと広がりそうです。


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