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2015年1月5日(月)

2015 焦点・論点

平和と発展に貢献したいと国連でスピーチ

東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構長 村山 斉 さん

基礎科学は“平和の開拓者” 国は敵対でも研究者は共同

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 「基礎科学は、すべての国の人々を一つにする。人類にとって真の“ピースメーカー”(平和の開拓者)だと信じています」。米ニューヨークの国連本部で昨年10月、「平和と発展のための科学」というテーマでスピーチした村山斉(ひとし)・東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構長(50)。美しい星空を見上げて宇宙の神秘を考えることから惑星・地球の平和と発展に貢献したいと訴えた、そのココロとは―。


 ――政治・外交分野では敵対している国の人が、基礎科学の研究で一緒に仕事することがよくあるのですね。

写真

(写真)むらやま・ひとし 1964年、東京都生まれ。東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構(カブリIPMU)機構長、米カリフォルニア大学バークレー校教授。専門は、素粒子理論(超対称性理論、ニュートリノなど)。東京大学で理論物理学の博士号取得後、東北大学助手などを経て、2007年にIPMU初代機構長に就任。『宇宙は何でできているのか』『宇宙になぜ我々が存在するのか』『宇宙を創る実験』など著書多数。
  (撮影・佐藤光信)

 村山 私は、欧州原子核研究機構(CERN(セルン))の科学政策委員会のメンバーです。CERNでは、インドとパキスタン、イスラエルとイラン、ロシアとウクライナの人たちが、一緒に仕事をします。友好的な関係の国々からも戦争中の国々からも何千人もが集まって実験装置をつくっています。ヒッグス粒子を発見した実験もそうです。CERNは一つの平和のシンボルです。

 研究者は、科学が平和に結びつくことを意識するというより、むしろ平和を享受しています。敵対国でもCERNにくれば一緒に仕事ができると。

 東西冷戦時代もそうでした。西側がCERNをつくった数年後、対抗する研究所を旧ソ連がつくりました。でも10年ほどたつと、敵対するはずだった二つの研究所が共同研究を始め、何十年も協力を続けています。

 研究者はみんな当然のことだと意識せずにそういう方向にいく。むしろ、研究所を見学に訪れた一般の人にとって衝撃ではないですか。日本だったら終戦前は英単語を口にすることですら「敵性語」だとされたわけですから。敵対する国の人が一緒に研究しているなんてありえないよと。

 研究者の個人レベルでは、敵対国の人と共同で論文を書くことは普通です。

国交できる前に

 ――こうした流れが太くなれば国同士の戦争がなくなりますか。

 村山 中東ヨルダンにある放射光施設「セサミ」計画には、イスラエルもパレスチナもイランも参加しています。敵対する国同士がお金を出し合って新しい加速器をつくり、一緒に使おうというのです。国交もないのにトップ同士が話しあっているわけです。本当にすばらしいことだと思います。そんな例はたくさんあります。

 CERNでも第2次大戦後の設立当初、ドイツ人は嫌われていたそうです。しかし大きな施設や装置を一緒に建設しているうちに敵対心が薄れたと、イスラエル人が言っていました。国交ができる前に共同研究の枠組みはできていたのです。

 もともとCERNは第2次大戦後のヨーロッパを統合する、平和を実現するということが念頭にあってつくられた組織です。ヨーロッパ共同体という意識が生まれる前にこういうことが先駆けでできていたことが、ヨーロッパの平和の機運をつくる一環になったのではないでしょうか。

 ――CERNは軍事研究に関与しないと宣言しています。東京大学も同じですね。

 村山 研究を非軍事に限っているから平和につながっているか、あまり実感はありません。ただ私は、原爆の設計をしている米国の研究所に行ったことがあります。そこでは軍事研究の区画には、機密事項を扱う資格のない私たちは入れません。素粒子や原子核を研究する区画に入るときでさえ、携帯電話やパソコンを持ちこめませんでした。安全な人間と危険人物かもしれないという区別が常にされている。普通の大学や研究所の環境との違いを強く感じました。

 研究の発展のためには、自由がないと新しいアイデアや研究テーマは生まれてこないですから、自由を保障する意味で非軍事であることは確かに大事なことですね。

戦争の爪痕衝撃

 ――国連のスピーチで家族のことや自分の体験に引きつけて平和について語りました。

 村山 祖父母は第2次世界大戦中、ソウルで暮らし、父もそこで生まれました。終戦が近づくと反日感情が強まり、家の表札を「村山」ではなく「金(キム)」と書いていたそうです。終戦後、日本への引き揚げ船に乗る直前、混乱のなかで9歳だった父ははぐれて取り残されそうになりました。運よく見つかりましたが、もし残留孤児になっていたら私は存在しませんでした。

 私は11歳から4年間、分断国家だった西ドイツのデュッセルドルフに住んでいました。1978年、修学旅行で分断されたベルリンへ行きました。西ベルリンは活気ある近代都市でしたが、東ベルリンへの検問を過ぎると地雷原と監視塔があり、東から西に人が逃げないようにしている。町は、第2次大戦の廃虚が並んでいる状況でした。戦後33年たっても、これだけ戦争の爪痕が残っているのかとショックでした。

 米国での研究生活では、宇宙の神秘を解きたいという共通の目的で、自殺テロを目撃したイスラエル人、イスラム革命から逃げたイラン人、亡命したユダヤ系のロシア人など、紛争や迫害にあった友人と一緒に研究しました。

 ――科学のワクワクする気持ちは、世界の発展のカギだとおっしゃいましたね。

 村山 発展というのは、人類の置かれている状況が、現在のような人道的に許しがたいものから、よりよい納得できる状況に改善させることだと考えています。そのためには科学的知識が必要です。

 私たち日本人は、福島の原発事故から科学と社会のあり方を学ばねばなりません。米国の友人たちは、人間活動が地球温暖化をもたらし自然災害の元になっている事実を受け入れなければなりません。

 私たちが地球という小さな岩の上に住む生物だという、大きな視点をもって見るだけで議論が変わってくる。手を取り合って行動できると思うのです。

友好関係のタネ

 ――紛争が絶えない世界でどのように平和に貢献したいですか。

 村山 宇宙の研究について、途上国の学生に講義をしています。途上国であれ発展した国であれ、科学は万国共通語ですから、文化も言葉も関係なく話せます。

 CERNに訪れる毎年数千人の高校生や先生たちは、世界中の研究者が平和的に研究して宇宙の深遠な疑問を解こうとしている姿に驚きます。その興奮はどんどん伝染していきます。日本にも同じような国際組織ができればいいですね。

 次世代超大型望遠鏡TMT計画にはインドや中国も参加しています。そういう計画が国としての友好関係のタネになって育つのが望みです。同じ方向に向いた瞬間、手は横にあるわけですから。

 聞き手 中村秀生


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