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2014年10月13日(月)

「河野談話」否定派の系譜(上)

策動当初から国際的批判

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 日本軍「慰安婦」問題で、「朝日」検証報道(8月5、6日付)をきっかけに「『吉田証言』を根拠として、日本の名誉は地に落ちている」(稲田朋美・自民党政調会長、3日の衆院予算委)などとする主張が、「靖国」派の政治家や一部右派メディアから流されています。しかし、日本の「国際的名誉」を傷つけてきたのは誰か、歴史的経過をみれば明らかです。

攻撃の矛先

 1993年8月4日、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、おわびと反省を表明した「河野洋平官房長官談話」が発表されました。「靖国」派の攻撃の矛先は当初、その直後に出た細川護熙首相発言―「私自身は、(先の戦争は)侵略戦争であった。間違った戦争であったと認識している」(同年8月10日)―に集中し、自民党靖国関係三協議会が中心になって、自民党内に「歴史・検討委員会」が設置され、侵略戦争美化の見解をまとめました。当時新人議員だった安倍晋三氏(現首相)は、このとき委員に抜てきされました(95年6月)。

 こうした逆流にもかかわらず、政府は95年、侵略と植民地支配へのおわびと反省をのべた「村山富市首相談話」を発表。「慰安婦」問題では、93年の国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会や94年の国際法律家委員会がとりあげ、国連人権委員会に「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者」が設置されました。報告者に任命されたラディカ・クマラスワミ氏は「慰安婦」について「明確に性奴隷制であり、かつ奴隷に似たやり方である」と告発しました。

 こうしたなか、歴史逆流勢力が巻き返しのために標的にすえたのが歴史教科書でした。自民党の「明るい日本国会議員連盟」は、96年9月「教科書問題に関する決議」をあげ、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」に関する記述を削除するよう要求。同年12月には民間団体「新しい歴史教科書をつくる会」が発足しました。

 それを加速させたのが、安倍氏らが97年2月に結成した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」でした。安倍氏が事務局長を務めた同会には、菅義偉、高市早苗、下村博文の各氏ら、現安倍内閣の中心閣僚が顔を並べています。

 若手議員の会は、すでに自民党総裁を経験していた河野洋平氏や石原信雄元官房副長官ら、「河野談話」作成の関係者を呼び出し、勉強会と称して攻撃的質問を浴びせていました。同会発行の冊子『歴史教科書への疑問』では、「河野官房長官談話は、当時の作られた日韓両国の雰囲気の中で、事実より外交上の問題を優先し…軍の関与、官憲等の直接な加担があったと認め、発表されたもの」(安倍氏)、「『従軍慰安婦』の強制連行など実際にはなかった」(菅氏)などと「河野談話」を攻撃していました。

 同年5月には、右翼改憲団体が合流し、「日本会議」が結成され、侵略戦争美化と改憲の両面で活動を強めました。

逆流の動き

 しかし、こうした動きは日本の「汚名をそそぐ」どころか、日本の国際的名誉を深く傷つけ、国際社会から不信、批判の的となり続けました。

 98年8月には、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会にゲイ・マクドゥーガル報告書が提出され、「慰安所」と「慰安婦」という表現は婉曲(えんきょく)であり「レイプセンターの性奴隷」と表現すべきだと厳しく批判しました。

 99年3月には、国際労働機関(ILO)条約勧告適用専門家委員会が、補償措置などを求める報告書を発表するなど、日本政府の責任回避に批判が集中しました。

 「河野談話」以降90年代には、自民党などの歴史逆流の動きに対し、「慰安婦」問題を人道犯罪とする立場から国際的批判が強まっていったのです。(つづく)


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