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2014年6月1日(日)

2014 焦点・論点

集団的自衛権 私が見た紛争地の現実

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 安倍首相が集団的自衛権行使容認の口実にしているのが、海外でのNGO(非政府組織)活動への自衛隊支援です。本当にそうなのか。一時帰国したペシャワール会現地代表の中村哲氏と、日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事の谷山博史氏に聞きました。


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(写真)なかむら・てつ 1946年福岡県生まれ。九州大医学部卒。医師。1984年にパキスタンのペシャワールに赴任。民衆のために医療活動とともにかんがい事業に取り組む。マグサイサイ賞など受賞多数。著書に『医者、用水路を拓く』(石風社)など。

民衆が望む「国際貢献」こそ

ペシャワール会現地代表 中村 哲さん

 ―首相は「海外のNGOのために」などを口実にしていますが。

 アフガニスタンとの国境の州都・ペシャワール(パキスタン)を拠点に、現地で民衆支援活動してから、ことしちょうど30年です。日本人であることが一つの安全保障でした。

 アフガンの民衆が、日本について連想するのは、日露戦争≠ニ、ヒロシマ、ナガサキ≠ナす。強国ロシアに負けなかった国、原爆が投下された廃墟から立ち直って技術立国として繁栄している国です。

 肝心なのは、「繁栄する国はたいてい戦争をするが、日本は半世紀以上も他国に軍事行動しなかった」との理解です。今回の集団的自衛権行使容認は、憲法のもとで営々と築いてきた平和主義の伝統を根底から掘り崩すものです。

 アフガンでは、2000年から世紀の大干ばつに襲われました。世界保健機構(WHO)は、農民と遊牧民が九割を占める人口2000万人のうち、600万人が飢餓線上にあり、さらに100万人が餓死線上にあると発表しました。私たちは大規模な国際援助が来ると期待しました。

 ―しかし、翌01年には、9・11米国同時テロの報復と称してアフガン戦争が始まりました。

 アフガンにきたのは、米英をはじめ各国の軍隊でした。いわば「対テロの集団的自衛権」を行使した戦争です。

 米国は、戦争≠無理につくりだした印象をぬぐえません。しかも、内紛工作や謀略など手段を選ばない。あるビデオ店を爆破しておいて、テロリストが犯人だとの印象を作り、憎しみをあおったという噂もあります…。

 大量の爆弾を落とし、罪の無い市民を大勢殺しました。結婚式場が爆撃され、集まった女性たちが何十人も死ぬこともしばしばありました。

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(写真)干ばつで砂漠化したスランプール地域(2003年)

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(写真)緑豊かによみがえった同地域(2007年)(いずれもペシャワール会提供)

 しかし日本は、まがりなりにも軍靴でアフガンを踏みにじることはしませんでした。

 「日本だけ、なぜ軍隊を出さないのか」。欧米から不満の声でしょうが、民衆からは好感をもたれたことを知るべきです。私たちは、ときには政府と違う考えで活動しているから、文字通り「非政府組織(NGO)」なんです。日本政府にはこれを軍事的に守る義務はないし、現地の政府や人々以外から守ってもらおうと思っていません。

 ―アフガンの民衆が望む支援とは。

 アフガンには、「金はなくても食っていけるが、雪がなくては食ってはいけない」ということわざがあります。ヒンドゥークッシュ山脈の万年雪や氷河が徐々に解け出し、その水の恵みで生きてきた「農業国家」です。大かんばつは、明らかに地球温暖化のせいです。薬では飢えや乾きは癒せません。清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、多くの病、餓死は防げます。そこで「百の診療所より一本の用水路」を合言葉に「緑の大地計画」として、大々的なかんがい事業にとりくみました。用水路は、鉄筋コンクリートを最低限に抑え、現地の人がいつまでも維持補修できる工法を採用しました。

 いまはいくさどころでない。かんばつに苦しむ民衆のため農業の再建という「国際援助」を呼びかけられるのは、日本だけです。これこそが、日本の本当の「国際貢献」です。

 聞き手・写真 阿部活士
 (ホームページ掲載にあたって、加筆しました)

「軍隊と一線画す」ポリシー

日本国際ボランティアセンター代表理事 谷山 博史さん

 ―安倍首相は、海外でボランティア活動をする若者や日本のNGOを救えないことを理由にあげました。

 国民の情緒に訴えた不思議な論理です。私たちは自衛隊に守られることを前提に紛争地の人道支援活動を行っているわけではありません。むしろ、軍隊と距離をおくことで安全を確保しています。

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(写真)たにやま・ひろし 1958年東京生まれ。86年からJVCスタッフとしてタイ・カンボジア国境の難民キャンプで活動。タイ、ラオス、カンボジア駐在を経て、94年に事務局長、2002年にJVCアフガニスタン代表、06年11月から現職。著書に『NGOの選択』(共著、めこん)など。

 軍隊と一線を画す。多くのNGOがこのことを基本方針にしています。中立・公平が人道支援の原則です。軍隊と関係があるとみられると、この中立性が担保されず、逆に武装勢力を支援住民の中に引き込み、危険にさらしてしまうからです。

 ―支援活動に支障はでないのでしょうか。

 私は1992年から2年間、カンボジアで難民の帰還支援を行いました。何十万人もの難民を短期間で帰す輸送車両の修理や泥にはまった車両の救出に関わりました。

 対象車両はNGOや国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)など国連機関が中心でしたが、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の依頼だけは断りました。軍事部門が中心だからです。

 「軍隊と関係を持たないことが、私たちのポリシー(方針)だ」と伝えると、相手は怒ったりごねたりせず、「わかった。ポリシーか」といって納得してくれました。

 現場では、ポリシーが大事にされます。私たちは「軍隊と一体化することは避ける」というポリシーのもとで、中立を保つことを貫いています。

 ―具体的にどう安全を確保するのですか。

 NGOは徹底した自己努力によって安全管理を行っています。地元社会や国連、他のNGO、大使館などからの情報収集を徹底し危険な事態を未然に防ぐことに努めます。

 誘拐が発生したときは、地元の有力者や中立的な機関の仲介で交渉による解決を目指す。武力突入は極めて高度な特殊部隊でも失敗が多く危険です。アフガニスタンではほとんどのケースは交渉によって解決しています。

 現実からかけ離れた事例をもちだしてNGOをダシに解釈で改憲しようとすることに憤りを感じます。

 ―国際ボランティア活動を通じて感じる日本の進むべき針路は。

 アフガンのクンドゥーズ州で治安支援を行っていたドイツ軍が、反政府武装勢力にタンクローリーを奪われ反撃した際に、住民を多数殺してしまいました。自衛隊が邦人救出であれ、NGOを守るためであれ、何であれ、紛争国で武力を行使すればこうしたことが必ず起きます。その後、日本人は戦闘の当事者に色分けされ、NGOも当然ターゲットにされます。

 「武力を行使しない」という日本の平和協力のあり方は、中東を中心に決定的な信頼の礎(いしずえ)を築いてきました。それが日本のユニークさで、憲法9条はまさに日本のポリシーです。

 9・11米国同時多発「テロ」の衝撃が強かっただけに、数々の和平を仲介してきたノルウェーですらアフガンに派兵しました。私は複数のアフガン人から言われました。「和平の仲介ができるのは、軍隊を派遣していない日本だけだ」と。

 非現実的だと思う人もいるかもしれない。それはそうです、日本はその努力をしてこなかったのですから。いまからでも遅くない。日本は集団的自衛の方向ではなく、紛争の間に立つ、中立の道に進むべきです。

 聞き手 竹原東吾
 写 真 吉武克郎

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