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2014年2月14日(金)

衆院予算委 笠井議員の基本的質疑

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 日本共産党の笠井亮議員が12日の衆院予算委員会で行った基本的質疑(大要)は次の通りです。


国益を損なった首相の靖国神社参拝

笠井 靖国神社が先の大戦を「正しい戦争」と主張していることを知った上で参拝したのか

首相 宗教法人の考え方にコメントしない

写真

(写真)質問する笠井亮議員=12日、衆院予算委

 笠井 総理が参拝をした靖国神社は、先の大戦をどう位置づけ、どういう立場・主張をし、それを発信しているか。当然、ご承知ですね。

 安倍晋三首相 靖国神社自体は、戊辰(ぼしん)戦争以来、国のためにたたかった方々をおまつりをしている神社であると認識しています。

 笠井 総理は私が質問した「先の大戦」についてお答えにならなかった。では靖国神社はどんな立場・主張をとっているか、みていきたいと思います。

 靖国神社の施設に「遊就館」という展示館があります。(パネルを示し)そこが発行したパンフレットの冒頭にこうあります。

 「明治15年、我が国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、とくにその姿は変えながらも、一貫したものがあります」「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の持つ使命であります」

 そういう立場で、あの侵略戦争を正しい戦争だったと美化をして、宣伝し続けているのが靖国神社です。総理は、このことは当然承知されていますね。

 首相 遊就館と靖国神社は別でございまして、私がお参りしたのは、あくまでも靖国神社です。(靖国神社は)明治以来の戦死者の方々をおまつりをしている神社であり、そこにお参りをして手を合わせてきたということでございます。

遊就館は靖国神社の戦争観の展示・宣伝部門

 笠井 いま総理は「別である」と言われましたが、この遊就館は、靖国神社の遊就館部という部署が管理運営をしているところです。靖国の敷地内にかなり大きな場所を占めていますが、館内に入ると、いきなりゼロ戦が展示されている。これが神社の施設かと驚かされる。そういう軍事博物館であります。

 歴代の遊就館部長は、靖国神社の祭祀(さいし)をする責任者の宮司(ぐうじ)を補佐する禰宜(ねぎ)が務めるなど、靖国神社がその歴史観、戦争観を展示・宣伝する役割を靖国神社の部門として担っています。

 総理、そういう施設が、ここに紹介したパンフレットで明らかにしている靖国神社の立場について私は聞いているんです。靖国神社はあの大戦が、「自存自衛の正義の戦い」であり、「自由で平等な世界を達成するための避け得なかった戦い」だと主張し、それに殉じた英霊をたたえる施設だということを十分ご承知の上で、総理は参拝されたのかとうかがっているんです。

 首相 私は、宗教法人の考え方、歴史観についてコメントをするべきではないと思っています。靖国神社の境内には世界中の戦没者をおまつりをしている鎮霊社というお社もあるわけです。私はそこで手を合わせ、二度と再び戦争の惨禍で人々が苦しむ時代をつくってはならないという思いを込めて不戦の誓いをしてきたところです。

笠井 首相は靖国の主張を間違っていると言えないのか

首相 歴史観については歴史家に任せる

 笠井 遊就館がいまの姿になったのは2002年7月で、新館を大増築して展示スペースを従来の2倍に拡大しました。その開館式のあいさつをした靖国神社の湯沢貞宮司(当時)は、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んで、「我が国の自存自衛のため、さらに世界史的に見れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため避け得なかった戦い」だと説明しました。まさにこの主張は靖国神社そのものです。ですから、自らの参拝は性格が違うと言っても通用しない。

 ではうかがいますが、総理ご自身は、あの戦争が「自存自衛」「自由と平等な世界を達成するための正義の戦争だ」と考えているのか。それともそういう主張は間違っていると考えているのか。イエスかノーかでお答えいただきたい。

 首相 先の大戦において、とりわけアジアの人々に対して多大な損害と苦痛を与えたことの反省の上に立って、今日の自由で民主的な法を尊ぶ国をつくってきたところです。歴史観については、歴史家に任せるべきだとの考えです。

 笠井 「自存自衛」というのは、日本の政府・軍部が、侵略と領土拡張を合理化するために、最大の旗印に掲げたスローガンでした。歴史家に任せるというのではなくて、日本の政治の中でそういうスローガンを掲げてやってきた。

 「反省」と言うのであれば、あの戦争は「自存自衛」「自由と平等な世界を達成するための正義の戦争だった」というのは間違いだとはっきりいいますか。

 首相 政府が一定の歴史観を決めるのではなくて、歴史家に任せるべきだというのが私の考えです。

日独伊の戦争は侵略戦争――戦後国際秩序の土台

 笠井 間違っているとはっきりおっしゃらない。

 先の戦争というのは、中国、アジア諸国に対する領土拡張と外国支配を目指した侵略戦争であったことは歴史の事実です。来年で第2次大戦が終わってから70年になろうとしていますが、日本、ドイツ、イタリアが行った戦争は、いかなる大義も持たない侵略戦争だった。日本国民310万人、アジアの人々2000万人、第2次世界大戦全体で数千万人とも言われる犠牲を出した戦争は、決して繰り返してはならないというのが戦後の出発点です。それが戦後の国際秩序の土台となっているわけです。

 日本政府も、紆余(うよ)曲折がありましたが、1995年の村山談話で、「我が国は遠くない一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」として、「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を述べたわけであります。ところが、それとはまったく正反対に、あれは正義の戦争であったというのが靖国神社の立場であります。

 そうした靖国の立場が間違っていると総理ははっきりと言えない。その神社に参拝することは、戦後の政府見解の到達点を崩して、過去の侵略戦争を肯定・美化する立場と同じ立場に自らの身を置くことを世界に向かって宣言することになる。総理にはそういう認識がありますか。

 首相 そういう認識はありません。歴史認識についてこういう考えであると申し上げることは謙虚でなければならない。歴史家に任せるべきだと考えているところです。

笠井 戦争犯罪人を「昭和殉難者」・「神」としてまつっている

首相 国のために命を犠牲にした方にお祈りした

 笠井 認識がないというのは重大だと思うんですが、歴史に対して謙虚でなければいけないのに、はっきりと正しい戦争だったと言っている靖国神社に、間違っていると言わずに参拝する。まさに謙虚じゃない。そういう証拠じゃないですか。

 国のリーダーとして当然と総理は繰り返し言われますけれども、あの侵略戦争が正しかったと言っているのが靖国神社であります。不戦の誓いにもっともふさわしくない場所であります。

 この間、日本政府の公式に表明してきた立場とまったく正反対の主張をしているところに国のリーダーが参拝するから、国内外から批判が出るのです。

 (パネルを示し)これは靖国神社そのものの社務所が作成したリーフレット「やすくに大百科」の外国人向けの翻訳版です。英語、中国語、韓国語に訳されて、海外の来訪者も受け取れるものであります。この中に、次の重大な記述があります。

 「戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”とせられ、むざんにも生命をたたれた千数十人の方々…國神社ではこれらの方々を『昭和殉難者』とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀(まつ)りされています」

 総理、これをアメリカ、イギリス、中国、韓国の方々が読んだら、どう受け止めると思われるでしょうか。

 首相 これは宗教法人の出しているパンフレットですから、私がコメントするのは適切ではないと思います。

 一方で、靖国神社の境内の中の本殿の横には、世界中のすべての戦場における戦没者も含めて霊を安めるお社があるわけでございまして、私はそこにもお参りをしてきたところです。

 笠井 この「戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”とせられ、むざんにも生命をたたれた千数十人の方々」のなかには、東京裁判で裁かれたA級戦犯が含まれております。そのA級戦犯も「昭和殉難者」と呼んでいるのが靖国神社です。総理はそういう場所に参拝したことについては認識されますね。

 首相 国のためにたたかった方々、尊い命を犠牲にされた方々のために手を合わせ、ご冥福(めいふく)をお祈りをする、御霊(みたま)安かれなれとご冥福をお祈りするのは、世界のリーダー共通の姿勢なんだろうと思いますし、国のリーダーとしては当然のことと考えているところです。

 靖国神社のなかには、鎮霊社というお社があって、これは日本とたたかった相手国の人々の霊もまつっているわけでございます。その総体が靖国神社なんだろうと思っています。

 笠井 総理は繰り返し鎮霊社に行ったので、と言われるんですが、鎮霊社は、靖国神社の本殿のわきにある、高さ3メートルほどの鉄の柵で囲まれた、わずか10平方メートル程度の小さなほこらのことです。

 この鎮霊社の手前には、「万邦諸国の戦没者」という立て札はありますが、いったい誰がまつられているのかはまったく不明で、名簿すらないんですね。創建以来、祭神を個別に明確化しながらまつってきたというのが靖国神社といわれていますが、そういうなかで、祭神名も不明というのは極めて不可解だといわれています。

 しかも、1965年の建立当時に禰宜を務めていた人物の話から、A級戦犯が本殿に合祀(ごうし)される1978年までの13年間、この鎮霊社にまつられていたという指摘もあります。このような場所で手を合わせたからといって、総理が靖国神社を参拝したという事実が消えるわけではありません。

 東京裁判にはいろいろ問題はありました。しかし、日本の戦争が侵略戦争だったときちんと断罪したこと、その責任を持つ人々について、個々にも罪を明らかにしたことは正しかった。実際に日本はそれを受け入れたわけです。

 総理自身は、この東京裁判でA級戦犯が裁かれたことは当然だと考えているのか。それとも、そのことは不当であり、神としてまつることは当然だとお考えなんですか。

 首相 極東国際軍事裁判所において、被告人が、平和に対する犯罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実であります。わが国としては、(サンフランシスコ)平和条約第11条によって、極東国際軍事裁判所のジャッジメンツ(判決)を受諾しております。なお、極東国際軍事裁判所が科した刑は、わが国の国内法に基づいて言い渡された刑ではないというのが従来からの政府の見解です。

笠井 侵略戦争に国民を動員し、戦後も「正しい戦争」と言う施設に参拝するリーダーがどこにいるか

 笠井 このA級戦犯として裁かれた人たちというのは、B、C級とも違った罪の重さで裁かれました。つまり、あの侵略戦争を計画、開始、遂行したということで戦争指導者として責任が裁かれた。このことを否定すると、日本の戦争は正しかったということになります。

 総理は、国内法では裁かれていないんだと言われましたが、よくその後大臣になったではないかという話でありますが、まさにA級戦犯として国際的に有罪の判決が下った人たちが大臣になるような政治そのものがおかしいわけであります。

 結局、私が問うても、間違っているかどうかお答えにならない。しかし、第2次世界大戦後の国際秩序は、日独伊による侵略戦争を不正不義のものと断罪することを共通の土台としています。日本はポツダム宣言、東京裁判を受け入れて、サンフランシスコ条約を結んで、国連に加盟し国際社会に復帰した。これが戦後政治の出発点です。

 ところが、現在も日本軍国主義による侵略戦争を正義のたたかいと美化・宣伝する靖国神社は、侵略戦争を引き起こしたA級戦犯を“連合国による一方的な裁判でぬれぎぬを着せられた犠牲者”としてまつっている。そのことについて私は問うたのだけれども、日本の首相が間違っているとも言えずに参拝するというのは、結局、今日の国際秩序に正面から挑戦することになる。総理にはそういう認識はありますか。

 首相 サンフランシスコ平和条約第11条によって、極東国際軍事裁判所のジャッジメンツを受諾しているわけでございます。この立場はいままでの日本の政府とまったく変わりはありません。

 笠井 靖国神社は日本軍国主義のシンボルと世界からもみなされている。そこに、総理が参拝すれば、世界の国々が、A級戦犯を含めて尊崇の念を示したんじゃないか、日本は戦後の国際秩序に挑戦して、戦後政治の出発点を否定しひっくり返したいのではないかという疑念を抱かれるのは当然だと思います。

 総理は、国の命令で命を落としたから、国のリーダーの責任というようなことも、参拝について繰り返し言われていますが、戦前・戦中、靖国神社は、陸軍省、海軍省の共同管理のもとにあって、財政を担ったのは陸軍省。責任者である宮司も軍人や陸軍大将らが当たって、中国への全面戦争が始まった翌年、1938年から終戦後の46年1月までは、鈴木孝雄陸軍大将がやったわけです。神社と言いますが、最初から戦争のための軍事施設として扱われました。そして戦場に出かけていく兵士、軍人の間で、「靖国で会おう」が合言葉にされた。戦地に行ったら戻ってこられないかもしれないが、死んだら靖国神社で神様にまつられる。それが最大の光栄と言われて、国民を戦場に動員する役割を担ったものであります。

 そうやって、補給も考えずに大軍が戦場に送り込まれて、多くは命が失われました。日本の陸海軍の軍人軍属の戦没者は、230万人にもなって、半数以上が餓死者と言われています。間違った国の命令を、正しかったとしている場所に行くことは、もっともふさわしくないと思うんです。戦争中は国民を不正・不義の侵略戦争に動員し、戦後はその侵略戦争を正しかったと肯定・美化する施設に参拝するリーダーが、世界のどこにいるかと言いたい。

 ご遺族が戦死した夫や息子、父や祖父、兄弟のために参拝することを私たちは問題にしているんじゃないんです。靖国でしか会えないようにしたことが問題で、そういう戦争動員に使われた神社に、戦後もそれを美化し続けている神社に総理が参拝することが問題だと言っているわけです。そういう神社に総理が参拝するから、国内外から強い批判が広がるばかりであります。

 総理の行動によって、文字通り国際社会の信頼を失って、とくに近隣諸国との友好という国益を大きく損なったという自覚と反省が総理にありますか。総理、靖国参拝をやめるべきだと思うんですが、どうですか。

 首相 国のために尊い命を犠牲にされた方々のために手を合わせご冥福をお祈りをしたわけでございまして、これは世界各国のリーダーの姿勢とまったく変わらないと思うところです。

真摯な反省こそ、国際社会の信頼を回復し戦没者の追悼に

 笠井 総理は自らの行動が本当にわかっていないと思うんです。こういう行動を続けるなら、日本は世界のどの国からもまともに相手にされない国になってしまうと率直に申し上げたい。日本が経験してきた戦争の現実と向き合って、真摯(しんし)な反省をしてこそ、国際社会の信頼を回復し、近隣諸国との友好という国益につながって、戦争に命をささげた多くの人たちの死を無駄にせずに、本当の意味で戦没者を追悼することになる。そのことを強く言っておきたいと思います。

原発避難計画できず―再稼働やめよ

笠井 川内原発での避難訓練の実態――連絡が来ない 要援護者の施設も

防災担当相 問題があったことは事実

 笠井 つぎに原発事故が起こった際の避難計画についてうかがいます。

 電力各社は原子力規制委員会に提出した再稼働の申請の書類のなかで、原発の過酷事故がどんなふうに進むかという時間を、解析コードと呼ぶコンピュータープログラムを使ってシミュレーションをしています。再稼働審査中の原発ごとに整理しますと、事故発生からメルトダウン開始はいずれも20分前後。格納容器から放射能の漏えいの開始が、約1時間半前後という状況であります。事故は急速に進展するということであります。

 総理、福島原発事故のように、ひとたび全電源を喪失してメルトダウンしたときに、こんな短時間に住民を被ばくさせることなく安全に避難完了させることができるというふうにお思いでしょうか。

 石原伸晃原子力防災担当相 福島第1原発の教訓等々、あるいはIAEA(国際原子力機関)の定める防護措置の枠組み等を踏まえて、一挙に全員が急いで逃げるというような形にはなっておりません。原子力規制委員会が作成した原子力対策指針に定める基準に基づき、原子炉の運転中に原子炉へのすべての給水機能が喪失した場合においては、すべての非常用の炉心冷却装置による注水ができない場合、すべての非常用発電機から電力供給が停止して、5分以上継続した場合などには、全面緊急事態と判断して、原発の周辺おおむね5キロメートルの住民に避難を行います。

 また、避難に時間のかかります要援護者の方については、原子力災害対策指針で定める基準に基づき、その前の段階で原子力規制委員長から避難要請を行い、避難や屋内待機を開始していただく。ですから、いっぺんにというような形にはなっていないことをご理解いただきたいと思っています。

 笠井 福島原発事故後は、対策をとっても事故が起きて、放射性物質が放出されるかもしれない、メルトダウンが起きたときには有無を言わさず、とにかく直ちに避難せよというのが、いま大臣言われた現在の国の原子力防災対策指針でありますが、非常に短時間に速く進むわけですね。避難というのは容易なことだと思うか、それとも大変なことだと思うか。

 首相 もちろん、その避難は、なんらか困難も伴うわけでありますから、そのためにもしっかりと避難計画を策定していくことが重要だろうと思っております。

 笠井 私自身、先日、鹿児島県の川内(せんだい)原発地域にうかがい、昨年秋に国が主体になった原子力総合防災訓練のもとで行われた避難訓練の実態を関係機関、参加した方々からつぶさにうかがってまいりました。

 この地域の中心になっているのが薩摩川内市ですが、原発から5キロ圏内の高齢者福祉施設にうかがいますと、そこでは訓練なので準備ができていたはずなんだけれども、第一報の電話連絡はこなかったと。困難者を運ぶ救急車もそろわず、5台のうち1台がこなくて、いっしょにならないと出られないということで、そろってからようやく第1陣が出発したのが防災無線で避難指示が出てから70分後だったというんですね。事業者も、避難計画を事業者ごとにつくれといわれているけれども、受け入れ先が大体、どこかというのをはっきりさせてもらっていない。どこかも未定で、計画づくり、どうやっていいかわからないし、めどが立たない。不安と懸念の声をあげられておりました。

 それから隣のいちき串木野市の幼稚園では、そもそも事業者ごとの避難計画づくりの説明も聞いていないという話でした。一番確実に避難の支援が必要な要援護者がこういう状況だったわけです。こうした実態を総理はどう受け止めているのでしょうか。

 原子力防災担当相 ご指摘された事実は、現地に副大臣を派遣をさせ、同じような報告を受けています。この訓練で、要介護者の避難に際しての車の遅れ、避難の状況等々に問題があったということは事実だと思っています。

 今回の原子力防災訓練で、ご指摘のような課題を確認できたのは、ある意味では訓練でございましたので、私は成果ではないかと思っています。

笠井 避難計画策定はたった43%――要援護者含む計画はひとつもない

防災担当相 終わりであるということはない

笠井 救うべき命を最初から対象にせず安全確保など言えないではないか

 笠井 この訓練は、北北西の風という想定でやられているんですが、事故はいつ起こるかわからない。昼、夜違うし、風向きにいろいろある。気象条件は刻々と変わるわけです。だからこれをやったら十分とかではなく、一つの例を挙げてやったにすぎないのです。

 川内原発地域では、避難対象の住民は、(半径)30キロ圏内で約23万人。これは2005年の国勢調査に基づく数字だそうですが、では実際にこの訓練に参加した住民は、どれだけいらっしゃるかというと、わずか370人ということです。実際に事故が起こって、一斉に避難したら、車が渋滞になって、避難などできない。あるいは地震とか、それからそろそろ100年周期じゃないかといわれている桜島とか、霧島の噴火で道路が寸断されれば、避難そのものが不可能になるとされている。海に逃げたからといって、自衛隊の掃海艇はお年寄りがとても乗る状況の船じゃないから、大変だということでありました。

 それら以外にも、では逃げたときどうやってスクリーニング(検査)やるかとか、いろんな問題があって、住民を被ばくさせることなしに安全に避難させる計画など、そもそもつくれないというのが現場の共通した声でした。

 (パネルを示し)原発事故の際の避難経路や手段を定めた避難計画の策定状況を、政府がまとめた資料であります。川内地域にしても、いま申し上げた程度の計画と訓練の実態でも、9市町村が対象になるわけですが、そのすべてが避難計画策定済み100%とされています。全体では対象市町村135あるうち、1月末の時点で策定済みは58で、策定率43%。

 総理は、昨年末の防災会議の場で、具体化が相当進んでいるということも言われましたが、まだ半分以上の自治体ができていない。そして、東通、女川、柏崎刈羽、東海、浜岡地域にいたっては、避難計画がまったくできていない。未定あるいは今年度以降ということになっている。

 私が重大だと思うのは、(この資料の)「注」では「ここで言う避難計画は一般住民を対象としたもの」「いずれの地域も、入院患者等の要援護者については検討中」とあることです。つまり、入院患者等の要援護者を含む避難計画が策定できた市町村は、現在のところ、いずれも検討中ですから、まだ一つもないということでよろしいですか、大臣。

 原子力防災担当相 要援護者の避難先の確保というのは、やはり地域全体で組織をつくって支援する、そして、輸送にやはり大変手間がかかる、輸送手段の確保には、自衛隊など国の機関、あるいは自治体による具体的な調整もやらなければいけません。こういうものをしっかりとつくっていくために、現在、国のワーキングチームを活用して、充実を図っているところでございます。

 いずれにいたしましても、訓練をやったから、計画ができたから完ぺき、終わりであるということは私ないんだと思っています。

福島第1原発の事故で要援護者の悲劇が相次いだ

 笠井 総理、この問題は、非常に重大だと思うんです。東京電力の福島第1原発の事故では、まさにこの要援護者の避難がいかに困難で、避難途中で病が悪化して、亡くなるケース、悲劇がどれだけ相次いだかと。

 たとえば、福島県大熊町の双葉病院では、あの3・11の翌日、12日に入院患者338人の避難が始まりましたが、完了したのは16日の未明。院内で最初の死者が確認された13日以降、14日に放射能の影響を避けて県内を10時間かけて走るバスの中で34人中3人が亡くなり、翌朝までに計14人が亡くなる。月末までに計40人の命が奪われました。こうした痛苦の教訓こそ、生かさなければいけないはずです。

 ところが、入院患者等の要援護者の避難計画は、まだどの地域でも検討中で存在しない。高齢者、身体障害者、妊婦さん、乳幼児など自力で動くことが困難な住民が、どう避難するかの計画は、いわばこの政府の集計でいうと、最初から除外をして策定済み100%と書いてあるわけです。最初から、救うべき命を対象にさえせずに、よく安全の確保なんていうことがいえるかと思うんです。とうてい、これは策定したとはいえないと思うんですが、いかがお考えでしょうか。

 原子力防災担当相 委員が福島での悲劇についてご開陳になりましたが、すぐ動かせばいいのかといえば、ケース・バイ・ケースであるのだと思います。こういう方々のために、発電所周辺の病院、介護施設等々の福祉施設についても、放射性物質が入ることを防ぐための建物のいわゆる気密性の向上や、この空気を換気するためのエアフィルターの設置などは、現に進めさせていただいております。

 笠井 総理ご自身はこの防災会議の議長です。そういう立場から、こうした現状について、どういう認識をされ、どういう課題だと思っているんでしょうか。

 首相 避難の実施単位、避難先、避難経路など基本的項目について、市町村が策定をいま進めてきているところです。要援護者の避難体制については、地域ごとに避難先を調整する仕組みづくりの支援、そして原発周辺の病院は、福祉施設の換気用エアフィルター設置など、放射線対策に対する財政支援など、福島での出来事等についても十分に反省点としながら、政府として各自治体の取り組みを支援しているところです。

 政府としても、地方自治体と協力をし、地域の防災体制を継続的に改善し、充実を図っていく考えであります。

 笠井 とくに総理からうかがいたかったのは、相当避難計画が進んでいるというふうに去年末に防災会議議長として言われたんだけれども、いま肝心なところは除外して、要援護者については除外して、それは検討中といっているのに策定済みって政府がこうやって出していることについて、おかしいと思わないか、ということなんですよ。つまり、最初から救うべき命について、対象にしてさえいないやり方について、どう思うかということなんです。

 首相 計画はしっかりといま進めてきているところです。そのなかで要援護者の避難体制については力を入れながら、さらに改善をしていきたいと考えている次第です。

 笠井 私は、こういうまとめ方、集計の仕方をしている政府の姿勢を問うているわけです。一昨年10月以来、策定が求められていた要援護者を含めた避難計画というのが、いまだにいずれも検討中で、国が主体になって訓練をやったのは、全国の中で川内原発1カ所だけですよ。それ以外は訓練すら行われていない。

 いろいろやっていきますというけれども、実効性ある避難計画などつくれないことを示しているんじゃないか。それを(策定は)100%と書いている。けしからんと思うんです。

 高齢者も施設にいるだけじゃありません。自宅療養中の身障者の男性からメールをいただきました。この男性は、川内原発から15キロに住む間質性肺炎73歳。身体障害者1種4級で、24時間酸素吸入が必要で、車の運転はできず酸素ボンベを引いて近所を歩ける程度といいます。こういうメールです。

 「2年前に診断されるまでは、原発避難については深く考えていなかったが、一人では避難できない。避難計画では、自律行動できない人の調査や聞き取りが報道されているが、私のところには1回も調査に来てもらっていない。原発がなければ心配しないで暮らせたはずが、身障者になった身には、心配と不安がいっぱいだ」

 総理、この気持ちが分かりますか。総理は原発再稼働について、福島事故の教訓を踏まえて、安全を確保することが大前提だと本会議でも答弁されました。原子力規制委員会の審査さえ通れば、再稼働ということでしょうけれども、そもそも規制基準にも、避難計画を原発運転の必要条件にしておりません。その上、避難計画についてはこれでできたっていうことにならない。要援護者をはじめとして、住民の安全が確保される計画ができないというのに、よくも再稼働が口にできたと思うんですが、きっぱり再稼働やめると決断すべきじゃないですか。

 茂木敏充経産相 避難計画を含む地域の防災計画は、法令上、原発の再稼働の要件ではありませんが、原発の再稼働にあたりましては、立地自治体等関係者のご理解を得ることは極めて大切であります。

 笠井 一般的な重要性を言っているだけで、事故が起こったら誰が責任取るんですか。

 原発は再稼働せずにそのままゼロにするという決断を強く求めて、質問を終わります。

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