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2013年11月21日(木)

貧困者には“遠い”支援

“家族に早く会いたいけど…”

台風被害のフィリピン

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(写真)「子どもと妻に早く会いたい」と語るアドリアノさん=16日、マニラ空港(松本眞志撮影)

 【タクロバン=松本眞志】8日に台風30号が襲ったフィリピンでは、海外で働く人々が被災地の家族の安否を気遣って、帰国する例もあります。インドネシアの首都ジャカルタで通信機器の会社に勤務するレイナルド・マカパガル・アドリアノさん(29)もその一人です。

 アドリアノさんは、レイテ島タクロバン市の南にあるパロ市に住む妻のジーナさん(30)と台風が来る直前の6日に生まれたばかりのロレンゾちゃんとの再会を果たすため、マニラからセブ島に向かう途中でした。

間一髪助かる

 「台風が来たときに出産していたらどうなっていたことか」とアドリアノさんはいいます。ジーナさんとロレンゾちゃんは、運良くタクロバン市で唯一残った病院にいて助かりました。自宅は全壊しました。

 「妻は息子をセブ島でしばらく育てたいという。自分も家族とクリスマスを過ごしたい」とアドリアノさん。

 ジーナさんは幼子を連れてすでにセブ島入りしています。

 「いまはとにかく息子と再会したい。でも収入のことを思うと来年にはインドネシアに戻らなければならない」と複雑な表情です。

 ジーナさんやロレンゾちゃんのように、被災者の多くがセブ島やルソン島に逃れています。しかし、移動する費用を工面できない人々は復旧のめどが立たないレイテ島に残らざるをえないのが実情です。

物資供給が主

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(写真)ガレキの廃材で仮設住居を建てる被災者たち=18日、タクロバン市(松本眞志撮影)

 政府の支援はこれまでのところ、救援物資の供給が主で、人々の安全な場所への移動や仮設住居などの支援には及んでいません。

 壊滅的被害をうけたタクロバン市のマガリャネス通り付近では、被災者自身が廃材を利用して仮設住居を建てていました。「こんなところに家を建てても政府がすぐに撤去するのでは」との質問に、「政府が支援するまで待っていられないよ。撤去命令が出るまで住み続ける」との答えが返ってきました。

 食料や水、医薬品などを届ける手段も解決を迫られている問題のひとつです。タクロバン市の被災者支援担当者は、「被災者用の食料は、十分な量がすべてのバランガイ(フィリピンの最小の自治体単位)に届けられた。食料について問題はない」と説明します。

 しかし、地元紙マニラ・ブレティンの記者シェリル・バルディカントスさん(27)は、「バランガイの受け取り場所に物資が届いたとしても、そこから遠く離れたところで暮らす貧しい人は、交通手段がない。車の燃料を買うお金もないので取りに行けない」と問題点を指摘しました。

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