2013年1月27日(日)
きょうの潮流
昨年は日中国交回復40周年ながら、関係悪化に暗たんとした年でした。そんな中でも人と人とのつながりに希望を見いだすことができます▼日中友好協会宮城県連泉支部が最近発行したブックレット『なぜ一六二人全員が助かったか』(藤村三郎著)を知人に勧められました。東日本大震災で中国人実習生を津波から守った宮城県女川町の人たちを泉支部の会員が取材してまとめました▼震災時、海辺の水産会社19社で162人の中国人実習生が働いていました。全員が津波から逃げ、無事帰国しました。大地震も津波も経験したことのない外国人です。町民の1割近くが犠牲になった女川でなぜ全員助かったのか▼実習生を避難させ、自らは津波にのまれた経営者もいます。水産会社の専務、佐藤充さんです。中国でも感動を呼んだ行為です。ほかにも「実習生から一人の犠牲も出すな」と寮も捜した社員。被災直後、帰国を手配した社長たち▼極限状態でそれができたのは、町ぐるみでふだんから実習生を「将来長くお付き合いする人」として尊重していたからでした。女性には女性生活指導員を配置。親身になって教える日本語研修。ある社長は常々「実習生を単なる労働力と見てはならない」と述べていました▼帰国後、止める家族を説得して女川に戻った実習生もいます。宮城県は中国の作家、魯迅が留学した地です。彼が希望を道にたとえています。「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(「故郷」)








