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2012年7月16日(月)

主張

五輪日本選手団

参加100年の節目に実力発揮を

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 夢はかなえるためにある―。女子サッカーの沢穂希(ほまれ)選手のことばです。その夢の舞台、ロンドン・オリンピックの開幕が迫りました。27日から8月12日までの2週間余り、近代スポーツ発祥の地で世界のアスリートが力を競います。

本番に向けて

 今大会にのぞむ日本代表の選手は総数293人、野球とソフトボールが競技種目からはずされた分、前回の北京大会より45人ほど減っています。うち女子選手は156人(53%)と、連続して男子を上回りました。

 注目される16歳の高校生、土井杏(あん)南(な)選手。陸上競技女子400メートルリレーでの若さいっぱいの快走が楽しみです。最高齢は馬場馬術で71歳の法華津(ほけつ)寛選手。初代表が1964年の東京五輪という大ベテランです。さっそうとした手綱さばきはいまも健在です。

 初の五輪メダルに挑むサッカー女子代表、団体・個人の総合優勝をめざす男子体操、競泳男子の平泳ぎ100メートル、200メートルで3連覇がかかる北島康介選手など、日本勢の活躍が期待されます。やり投げのディーン元気選手は父親の母国で伸びざかりの勢いをみせるでしょうか。北京大会で快進撃したフェンシングに続く競技種目や選手にも注目が集まります。

 いま、代表選手・チームは現地での調整をはじめ、本番にむけた最後の仕上げに余念のない段階です。それぞれの夢の実現をめざして万全の準備をつくし、世界のアスリートたちに伍(ご)して存分に実力を発揮できるよう、選手・チームに応援のエールを送ります。

 日本選手団がオリンピックに初参加したのは、1912年、ストックホルム(スウェーデン)での第5回大会でした。今度がちょうど100年目の参加となります。

 スタート時は陸上競技の2人の選手だけでしたから、この1世紀の間での日本のスポーツ界の躍進ぶりが分かります。

 歩んできた道は山あり谷ありでした。

 侵略戦争のさなか、1940年の東京での第12回大会開催は返上させられ、戦後最初のロンドンでの第14回大会(48年)は、「戦争の責任」が問われて参加できませんでした。64年に東京で開催された第18回大会を契機に軌道に乗ったスポーツ界でしたが、80年のモスクワ大会は政府の介入によるボイコットの強制で、選手団を派遣できませんでした。

 大会返上とボイコットで2度も“幻の選手”が生まれました。4年に1度の夢実現の舞台が奪われ、目標を失うことほど競技者の不幸はありません。けっして繰り返してはならない苦い教訓です。

新しい歴史の一歩

 今回のロンドン・オリンピックに参加する選手の多くが昨年の東日本大震災に直面して、「自分の活躍が激励になれば」と向き合い、被災地の復興支援に連帯してきました。この力強い一体感の前進のもとで、今度は日本選手団の活躍を大いに後押ししましょう。

 戦争と大災害を身をもって体験してきたスポーツ界です。オリンピック参加100年の節目に歴史に目を向け、スポーツを通した平和と連帯の大切さをあらためて考えてみる機会にしたいものです。

 日本選手団が刻む新しい歴史への一歩に注目し、ともに明日への希望をつかみたいと思います。


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