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2011年11月7日(月)

地方発

芝居小屋 街の誇り

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 地域の伝統文化を守り、発展させようという住民の活動が各地にあります。江戸時代からの農村歌舞伎や、宿場町などでの庶民の娯楽、文化遺産として、芝居小屋を今日に生かそうとの多様なとりくみもあります。岡山県美作(みまさか)市からのリポートと群馬県みどり市のもようです。


群馬・みどり市

子・孫のため残すべえ

住民・若者ら黒子の活躍

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(写真)菊華寄席でにぎわう芝居小屋「ながめ余興場」=10月30日、群馬県みどり市大間々町

 74年前に建てられた2階建ての芝居小屋「ながめ余興場」が大改修をへてよみがえりました。江戸時代から足尾銅山の「銅(あかがね)街道」宿場町と生糸の集散地として繁栄した群馬県の東部、みどり市大間々(おおまま)町にあります。

 渡良瀬(わたらせ)川が形づくる扇状地の要に位置する景勝地で、高津戸峡の眺めがいいことから、こう名づけられました。昭和20〜30年代には地域の娯楽、演芸の場としてにぎわったのでした。

 しかし、娯楽の多様化、テレビの普及などで客足は減少し、1987年(昭和62年)に閉館。廃屋同然になっていました。「解体して、文化ホールの建設を」との動きがありました。

 その時でした。

 住民、若者たちが「文化遺産を使って残そう」と立ち上がりました。小屋雅義さん(58)=建築士=や椎名祐司さん(55)=自営業=らです。内子座(愛媛県内子町)など全国の芝居小屋を訪ね、保存活動を交流しました。

 93年、余興場を裏方として支えようと「ながめ黒子(くろこ)の会」を発足、400人が参加しました。会長の小屋さんは「子どものころ遊園地で遊び、お年寄りも余興場で芝居を楽しみました。地域の宝、みんなで残すべえ」とふり返ります。

 黒子の会を励ましたのが閉館前、余興場で最後の公演をした「梅沢清一座」の芝居衣装の発見でした。これをきっかけに、下町の玉三郎とよばれる息子の梅沢富美男さんの3度の公演に、地元は沸きました。こうした動きに、町(当時)は97年、4億円かけて余興場を改修し、芝居小屋の歴史はつながりました。

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(写真)ながめ余興場を守ろうと話し合った(右から)椎名、小屋、常見、粕川、小西明の各氏=群馬県みどり市

 改修後は、回り舞台、花道を備え、650席で床暖房も完備。玄関は唐破風(からはふ)付きで歌舞伎座を模して造られています。市重要文化財に指定され、黒子の会(NPO法人)が落語の会などの運営、チケット販売を行います。

 地道な努力が実ったと館長の粕川方宏さん(69)は「年間100日以上も利用され、3日に1回の行事が入り、笑い声がひびきます。年4回の寄席、舞踊、講演会などに加え、グランドピアノも寄贈され、音楽会も開けます」と話します。

 みどり市は大間々町、笠懸(かさかけ)町、東村の合併で5年前に誕生した市。渡良瀬川とわたらせ渓谷鉄道は市民の「ふるさと」といえます。

 同市は余興場の保全・改修に力を入れ、バリアフリー化などもすすめる予定です。日本共産党の常見詔子市議も市民の財産である文化施設などの活用のために努力しています。

 初代の「黒子の会」会長で、全国の芝居小屋にも詳しい椎名さんは熱く語ります。

 「東日本大震災で福島県の朝日座(南相馬市)など、各地の芝居小屋も被害をうけました。地域の文化遺産を継承し子どもや孫の世代に残していきたい。そのためにも住民の応援とともに、国の文化振興策・援助をもっと強めてほしい」 (小高平男)

岡山・美作市

村あげ応援しちゃろう

見えを切る子どもに声援

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(写真)春日座で朝顔日記を演じる安東さん(中央)と保存会の人たち=10月8日夜、岡山県美作市

 岡山県美作(みまさか)市には、農村歌舞伎の芝居小屋「春日座」があります。木造平屋一部2階建て延べ約400平方メートル。回り舞台や花道を備え、板張りの客席は300人を収容します。

 毎年体育の日の前日の土曜日曜の二日間の夜、同市粟井(あわい)地域に古くから伝わる粟井春日歌舞伎が演じられます。

 美作市をはじめ東美作地域は江戸時代からの農村歌舞伎の盛んな地域で、明治のころには100カ所もの舞台があったといいます。

 美作市粟井の春日座の舞台も明治初期、春日神社の境内横に、各戸から1人奉仕作業に出て村人の手で建てられました。春日神社の春と秋の祭りに、奉納歌舞伎が演じられてきました。

 今年も10月8、9の両日、公演されました。8日、開演の午後7時前になると、客席が埋まり、大勢の立ち見客も出ました。客席の最前列には地元の幼児たちがずらりと並んで芝居に見入り、岡山市や兵庫県から、毎年訪れるという客もいます。

 粟井小学校6年生全員(7人)が三番叟(さんばそう)と太功記(たいこうき)十段目を演じました。子どもたちが見えを切り、わっと大きな拍手につつまれます。

 今年90歳をむかえた粟井春日歌舞伎保存会会長で、会を代表する名優、安東正さんも、朝顔日記の徳右衛門をみごとに演じ、観客を沸かせました。

 安東さんは、名優といわれた父親のもとで子どもの頃から練習し、18歳で初舞台を踏みました。「家は山のなかの一軒家で大声を出しても近所に迷惑はない。芝居好きが集まってきて、練習しました」

 当時の舞台の客席は露天で、むしろをしき、人々が重箱を持って集まり、にぎわいました。

 しかし、東京オリンピックや万博があり、テレビが各戸に普及していくなか観客は減り、公演のできない年もありました。

 そうしたなか、安東さんたちは「伝統の素人歌舞伎を後世に残していこう」と、1977年、粟井春日歌舞伎保存会を設立しました。

 「若い人、私らの子どもの代の人たちを誘ったのがよかった。人気が出た」と安東さん。毎年1人、2人と若い会員が着実に増えました。98年からは、地元の粟井小学校の6年生全員が毎年演じるようになり、「子どもの代を中心に、孫の代、ひ孫の代が演じるようになると、村をあげて、『応援しちゃろう』と、客席を超満員にしてくださる」と話します。

 現在の春日座は、明治からの舞台が老朽化で閉鎖を余儀なくされるなか、1993年(平成5年)に建てられました。旧作東町が県の補助もあり約4600万円をかけて建設。日本共産党旧作東町議の本城宏道さん(現美作市議)も尽力しました。保存会が管理し、水道光熱費などの経費も会が負担しています。

 「伝統の歌舞伎を後世に」との願いは子どもたちにも受け継がれています。今年客席にいた安東幸芳さん(13)も小学6年に演じた一人。「おとなになっても歌舞伎を続けたい。僕が生まれるずっと前から、演じられてきた歌舞伎の伝統を学びたい」と話していました。 (岡山県・宮木義治)

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