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日本共産党

2018年5月6日(日)

シリーズ 憲法の基礎

60年安保改定 集団的自衛権につながる

 1951年に日米安保条約が締結され、54年には自衛隊が創設されました。占領軍が「在日米軍」に姿を変え全土に基地を置き、自衛隊による「再軍備」の道が開かれました。

 60年には日米安保条約が改定されます。新安保条約の最大の特徴は、米軍基地の問題だけでなく、日米共同作戦の条項を盛り込み、明確な軍事同盟条約に変えたことです。

 新安保条約の5条では「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対し「共通の危険に対処するように行動することを宣言する」としました。

 これは日本の国土に対する攻撃に日米が共同で対処する一方、在日米軍とその基地に対する攻撃に対し、自衛隊が米軍と協力して対処(反撃)することを約束したものです。

 在日米軍基地は、旧安保条約の段階から「極東の平和と安全に寄与」することを目的としました。新条約でもこれを引き継ぎ、日本の「防衛」を超えた「極東の平和」のための出撃拠点とされたのです。その共同防衛は米国のアジア戦略への協力にほかなりません。

 在日米軍とその基地が攻撃を受けることは、たとえ日本の領域内でも、米軍(米国)に対する攻撃という本質を持ちます。それに自衛隊が反撃することは集団的自衛権としての性質をもっています。

 政府は「(米軍が)日本におります以上、日本の領土、領海、領空に対する攻撃をせずにこれを攻撃することはできませんから、日本においては、これを個別的自衛権の発動として排除できる」(60年4月20日、林修三法制局長官)と説明してきました。「国土を守っている」として個別的自衛の論理を“併存”させ、実際上は「米軍を守る」、すなわち集団的自衛権の行使につながっています。

 「海外派兵はできない」という憲法9条の「制約」のもと、「日本国の施政下」における米軍に対する攻撃への共同対処に限定せざるを得なかった一方、日米共同作戦体制が形成され海外派兵の要請が強まっていきます。


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