しんぶん赤旗

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日本共産党

2018年3月4日(日)

きょうの潮流

 同じ民族を隔てる国で開かれた五輪をみながら国境の意味を改めて考えました。最近、国の境界線をめぐって厳重や警備とは正反対の体験をしたためです▼所はタイとミャンマーが接する峠の町。小学生たちがタイ側から国境をこえてミャンマーに帰ります。鉄の柵が境界線上にあるものの、左右に通路が開き、兵士の姿もありません▼近くの学校で先生に聞くと、生徒は両国にまたがる少数民族のカレン族やモン族が多いとのこと。両国間の紛争が終わって平和が戻り、人びとが屈託なく日常的に国境を行き来していました▼第2次大戦中、日本軍はアジアの支配強化のためにタイとミャンマー(旧ビルマ)を結ぶ全長415キロの泰(たい)緬(めん)鉄道をつくりました。その跡は今も各地に残っています。1942年秋に開始された“死の鉄道”の建設は、1年余の突貫工事で完成するまで連合国軍の捕虜やアジア人数十万人を投入。熱帯密林で過酷な労働を強いられ、伝染病で多数の命が奪われました▼陸軍の通訳だった永瀬隆さんは戦後、戦争犯罪の一端を担ったことを悔い、犠牲者の埋葬地を探し出し、追悼の寺院を建立。タイの子どもたちを支援し、ドキュメンタリー映画にもなりました▼泰緬鉄道の一部はタイの国鉄になり、今では外国からも観光客が訪れます。日本の戦争犯罪の歴史が深く刻まれている地は、戦争も紛争もない平和こそ民族や人びとにとって何よりも大切だと。乾季の青い空の下、クワイ川にかかる鉄橋を渡りながら実感しました。


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