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2015年12月7日(月)

きょうの潮流

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 崩れ落ちた家々に、がれきの山。倒壊した工場の下敷きになった学生たち。東海地方を中心に5万7千戸以上の家が全半壊し、1200人をこえる死者を出した東南海地震です▼1944年のきょう12月7日に起きたM7・9の地震は、直後の三河地震とともに「隠された地震」と呼ばれました。発生翌日の8日は「開戦記念日」。新聞各紙は天皇の大きな写真とともに特攻隊出陣式や戦場の武勇談に紙面をさきました▼地震の記事は裏面の隅にひっそり。地元紙の見出しも「天災に怯(ひる)まず復旧」とあり、なかには「疎開学童は無事」と大ウソを報じた新聞も。被災地が軍需工場の拠点だったことから徹底した報道管制が敷かれたのです▼亡くなった地震津波災害史家の山下文男さんによれば、愛知・半田市の中島飛行機工場では、勤労学徒97人を含む153人が圧死。被害が漏れることを恐れて、県外の学徒たちの遺体は故郷に帰ることも許さず、その場でまとめて火葬されました。見送った学友らは地面をたたいて号泣した、と▼長年冤罪事件の救援運動に携わってきた梅田四郎さんの実兄、村岡三郎さんもそこで犠牲になりました。学んでいた京都三中(現山城高校)の中庭には、ともに命を奪われた13人を追悼する「紅燃(こうねん)」碑が建立されています▼83歳の四郎さんは先ごろ、隠された地震と兄「さぶちゃん」のことを同人誌に寄稿しました。若者たちをふたたび戦場に送ろうとする首相への怒りと、真実を伝えることの大切さを痛感しながら。


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