2014年12月21日(日)
沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争 (2)
18年前 火がともる
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沖縄知事選で翁長雄志氏が圧勝した11月16日午後8時すぎ。新基地建設の地元である名護市辺野古区で、ささやかな祝いの席を開く住民たちがいました。
西川征夫(いくお)さん(70)は、1997年1月発足のヘリ基地建設阻止協議会(「命を守る会」、現在は「辺野古区民の会」)の代表として、約18年にわたり住民運動を続けてきた一人です。
机たたき決意
「これが原点です」
そう言って西川さんが見せてくれたのは、色あせた一枚の写真(下)。「条件付き賛成」だった西川さんが「反対」に転じた出来事です。
97年1月に同区で日本共産党沖縄県委員会と北部地区委員会が開いた住民との対話集会の写真です。
西川さんが当初抱いていた「海上ヘリポートができる程度」という新基地のイメージは、ここで「軍港も伴う巨大な海兵隊基地」に一変。話を聞くうちに、多くの区民が「反対しよう」と机をたたいて意を固め、会の結成に至ったといいます。
たたかいがはじまった瞬間でした。
「保守も革新も関係なく、ダメなものはダメだ」。共産党との出会いをきっかけに、自民党国会議員の後援会長だった立場も捨て、西川さんは運動に身を投じてきました。
以来、辺野古にともされた住民運動の火は全県に燃え広がり、「オール沖縄」代表の知事を生み出しました。
西川さんはその意義をこう語ります。「長年の住民、市民、団体による非暴力運動が、保守系議員、経済界まで動かした。『オール沖縄』の環境づくりという意味では、県民一人ひとりの行動が沖縄の最高指揮官を誕生させた」
分断に抗して
「オール沖縄」の流れは、長年分断を迫られてきた地元にも確かに押し寄せています。
辺野古区の北に隣接する名護市の二見以北地域では、当初、全10区が反対していたものの、政府による新基地と引きかえの「振興策」で分断されました。しかし、2010年の稲嶺名護市政の誕生をきっかけに、住民らは再び声をあげはじめます。今年4月には「新基地つくらせない二見以北住民の会」を立ち上げています。
同会役員も務める汀(てい)間(ま)区の新(にい)名(な)善治区長は決意を新たにします。「翁長知事が公約を全うするには県民大多数の支援が不可欠。日米両政府に衝撃を与えるくらいの声をあげ続けたい」
西川さんの夢は、分断を乗り越え、住民運動の歴史を区の公民館で展示すること。「みんな生活基盤や利益をかけてやっている。誰がいい、悪いじゃない。分かってくれる日は必ず来る」
(つづく)