2014年11月17日(月)
84年のインド毒ガス流出事故
政府、補償拡大を検討
被害者らの訴えに応じる
【ニューデリー=安川崇】インド中部ボパールで1984年、米化学大手ユニオン・カーバイドの子会社工場から毒ガスが流出し2万人以上が死亡したとされる事故についてインド政府は14日、被害者への補償金支払い基準を再考すると表明しました。被害者らは4日前から支払い対象の大幅拡大を求めて首都で断食を続けており、これに応じた形です。被害者側は「運動の勝利。正義の実現に向けた前進だ」と歓迎しました。
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15日朝に会見した被害者支援団体「ボパール情報行動グループ」のサティナト・サランギ氏は、「30年間にわたる不正義を正す方向で、政府は最初の重要な一歩を踏み出した」と政府の対応を評価しました。
支援団体の集計では、この事故でこれまでに2万5000人が死亡。50万人以上が被害を受け、その多くが慢性の後遺症を患っています。
インド政府は2010年に被害者1人あたり10万ルピー(約18万円)の追加補償を表明。しかし対象は5000人余りにとどまっていました。
被害者側は、政府が後遺症被害を不当に小さく見積もり、患者の多くを「一時的で軽微な障害」に分類していると批判。「非科学的な分類基準に基づいて、被害者の93%が補償から除外された」として、対象の大幅拡大を求めていました。
10日には被害者や遺族約1000人が首都ニューデリーで集会を開始。被害者と支援者の計5人が断食しながら政府に抗議していました。
これを受けてアナント・クマル化学肥料相が14日夕、被害者側と協議。団体によると同相は、従来の補償基準を「医療機関による科学的な調査結果や診療記録に基づくものに改める」と語ったといいます。
同省高官も本紙の取材に「医療記録に基づいて、補償対象者の人数を見直す」と語りました。これを受け、被害者らは断食を終了。事故で夫を亡くした女性(70)は「苦労が実った」と笑いました。
事故は来月、発生30周年を迎えます。ユニオン・カーバイドの最高責任者だった米国人は帰国してインドでの刑事訴追を逃れ、今年9月に死亡しました。被害者は、後にユニオン・カーバイドを買収した米ダウ・ケミカル社に対し、賠償や汚染された土壌・地下水の浄化措置などを求めています。
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ボパール毒ガス事故 1984年12月、インド中部マディヤプラデシュ州の州都ボパールの殺虫剤工場から猛毒のイソシアン酸メチル30トン〜40トンが流出し、低所得者層の居住地域に流れ込みました。州政府発表の死者数は1万5000人。「20世紀最大の産業事故」とも呼ばれます。