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2020年2月12日(水)

きょうの潮流

 気骨の原点は幼少期にありました。早くに父を亡くし、病弱な母と兄とのひもじい生活。新聞配達や子守り、アイスキャンデー売りと、子どもの頃から働いて家計を助けました▼貧しさの中で苦労を重ねた少年はやがて野球の道へ。高卒後、契約金なしのテスト生として南海に入団。1年後にクビを通告されますが、泣いて頼み残してもらったというエピソードも▼プロの世界で生き残るため、ひたすら努力し、つねに相手を研究する。その向上心が球界を代表する選手にまで押し上げました。戦後初の三冠王をはじめ打者として数々の記録を打ち立て、守りの要の捕手としてもチームを支えつづけました▼しかし当時は人気のなかったパ・リーグでの活躍。「長嶋や王は太陽の下で咲くヒマワリ。ぼくは人の見ていない所にひっそりと咲く月見草」。王さんに次ぐ600号本塁打を達成したときに漏らした言葉は羨望(せんぼう)とともに反骨の裏返しでした▼監督としても手腕を発揮し、ヤクルトでは3度の日本一に。頭脳プレーやデータを重視し、意識改革を求めた指導は選手の育成や再生にもつながりました。一方で、何でもありの戦法は相手から嫌われ、選手を監督の手足とするような野球が批判されたことも▼負けに不思議の負けなし。人間的な成長なくして技術的進歩なし―。いくつもの名言や著書が注目されたのも豊かな知識と経験に裏打ちされた野球への衰えない情熱があったからこそ。ひとすじに生き抜いた84年の野村克也さんの人生でした。


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