しんぶん赤旗

お問い合わせ

日本共産党

赤旗電子版の購読はこちら 赤旗電子版の購読はこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加

2019年9月23日(月)

新版『資本論』刊行記念講演会

『資本論』編集の歴史から見た新版の意義

不破哲三党社会科学研究所所長の講演(詳報)

 20日に東京都内で開かれた新版『資本論』刊行記念講演会(日本共産党中央委員会、新日本出版社主催)での不破哲三社会科学研究所所長の講演の詳報は次の通りです。


写真

(写真)講演する不破哲三氏=20日、東京都新宿区

1、『資本論』の歴史を振り返る

 不破氏は冒頭、「『資本論』には歴史があります。マルクス(1818~83年)が最初の草稿執筆を開始したのは1857年、マルクスが死んでエンゲルス(1820~95年)の編集によって『資本論』最後の巻が刊行されたのが1894年。37年間の歴史です。私はこの歴史をたどりながら、新版『資本論』の特徴と意義について話したいと思います」と述べ、講演に入りました。

1865年の大転換

 不破氏はまず、『資本論』とその草稿全体を執筆順に並べて紹介しました。

 (1)『1857年~58年草稿』 『資本論』の最初の草稿で、7冊のノートから成りたっています。

 (2)『経済学批判』(1859年刊行) 経済学研究の最初の部分、商品と貨幣の部分をまとめたもので、草稿ではなく出版されたものです。

 (3)『1861年~63年草稿』 23冊の膨大なノートです。

 (4)『資本論』第1部初稿(1863年~64年夏) 題名を『資本論』と変えてまず書いた草稿です。

 (5)第3部第1編~第3編(1864年夏~12月) 第2部「流通過程」を飛ばしたのは、執筆するにはまだ研究不足と思ったからと思われます。

 不破氏は「私はここまでの草稿を『資本論』の“前期草稿”と見ています。なぜかというと、この次にマルクスは大発見をするのです」と述べました。

 それは、マルクスが1865年に第2部第1草稿を書く中で「恐慌の運動論」を発見したことでした。

 前期の草稿と後期の草稿と何が一番違うのか。それは、「恐慌の運動論」の発見により、資本主義社会がなぜ没落して社会主義社会に変わるのかという資本主義の没落論が大きく変わったことです。

 “前期草稿”では、マルクスは、リカードから引き継いだ「利潤率の低下の法則」を革命に結びつけて、利潤率が下がるから恐慌が起きる、そして恐慌が起きるから革命が起きるという「恐慌=革命」論に立っていました。

 ところが、新しい恐慌論は、恐慌は利潤率の低下から起きるのではなく、資本の再生産過程に商人が介入することが恐慌を引き起こすことになるというものでした。

 マルクスはこの大発見の直後に改めて第3部の残りの草稿を新しい構想で書き始めました。それから第1部を完成させ、次に第2部草稿を書いている途中で死を迎えました。未完成に終わった第2部、第3部は、マルクスの残された草稿をもとにエンゲルスが編集したものでした。

 マルクスの経済学の要は二つあります。第一は、なぜ資本主義が封建社会にかわって生まれ発展したのかを解明した部分で、マルクスはこれを資本主義の「肯定的理解」と呼びました。第二は、資本主義がなぜ矛盾が大きくなって次の社会に交代するのかを解明した部分で、マルクスはそれを資本主義の「必然的没落の理解」と呼びました。

 不破氏は「第2部第1草稿での新しい恐慌の運動論を軸にして『必然的没落』の理解がすっかり変わってしまった。このことを『資本論』の歴史を見るときにしっかりつかんでいただきたい」と強調しました。そして、これがその後の経済学の理論体系の大きな変更の転機となり、『資本論』を第1部とするそれまでの6部構成の構想から『資本論』1本に集約する新しい構想に変わったことを指摘しました。

 ところが、エンゲルスは大転換以前の第3部の初めの部分と発見後の後の部分を同じように考えて編集してしまうという大きな問題が残ったのでした。

直ちに新しい没落論へ

 この経済学上の理論転換は、マルクスが第一インターナショナル(国際労働者協会、1864年設立)の事実上の指導者としてヨーロッパの労働者運動の先頭に立った時期と、くしくも一致していました。

 マルクスはこういう実践活動に携わりながら、資本主義のもとでの生産手段の巨大な発展が次の社会の物質的土台を準備するとともに、搾取と貧困、抑圧の増大に対する労働者階級の闘争、「資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合される労働者階級の反抗」こそが資本主義の没落の推進力となることを解明し、経済的矛盾の深刻化と社会変革の任務を担う労働者階級の主体的発展の二つの面をあわせて視野に入れた資本主義の新しい必然的没落論を定式化したのでした。

 不破氏は「マルクスの実践的活動の発展と、この恐慌の運動論の発見による経済学の転換が同じ時期に行われたのは本当に不思議だと思うのですが、この転換をつかむのが『資本論』の歴史をつかむうえでは非常に大事なのです」と重ねて強調しました。

写真

(写真)新版『資本論』(新日本出版社)

2、エンゲルスの編集史と後継者の責任

 エンゲルスは、残された第2部、第3部の膨大な草稿にもとづいて、『資本論』編集の仕事にかかりました。

 しかし、これは容易な仕事ではありませんでした。

マルクス流「象形文字」の解読 

 編集にとりかかるには、まずマルクスの草稿を解読する仕事がありました。マルクスの筆跡は「象形文字」といわれるほどの悪筆で、それを読めるのはマルクス夫人亡き後はエンゲルスだけでした。

 エンゲルスは病気に苦しみながら、ソファに横になりながら草稿を解読して読み上げ、特別に雇った筆記者にそれを筆記してもらい、夜、エンゲルスがそれに手を入れ清書しました。それは毎日5時間から10時間、5カ月の「難行苦行」(エンゲルスの友人への手紙)で、夜の仕事のために次の段階でエンゲルスを眼病で悩ます大きな原因となりました。

 第2部の編集は84年5月から始まり、1885年1月に完了しました。

10年かかった第3部の編集 

 第3部は1885年2月から口述筆記を始めて7月には完了しました。このとき、エンゲルスは第3部を読んで受けた感銘を各方面に書き送っています。

 しかし、編集作業の条件はさらに悪化しました。エンゲルスの体調の悪化に加え、視力の減退が始まりました。さらに、急速に発展しつつある各国の運動への援助のための全集で2000ページを超える手紙の執筆をはじめ、やむを得ない自身の著作や論説の執筆のほか、マルクスの著作の刊行などで、『資本論』に取り組むまとまった時間が取れませんでした。

 口述が終わり、1888年から第3部の編集が始まりましたが、編集は困難を極め、最後の2編を印刷所に送ったのが94年5月でした。10年近い歳月をかけて生み出されたのが現在の第3部で、これで、『資本論』全3部を世界が手にすることができるようになったのでした。

 その10カ月後、1895年8月、エンゲルスは死去しました。「まさに『資本論』に命をささげたといっていいと思います」(不破氏)

悪条件のもとでの編集作業 

 エンゲルスの第2部、第3部の編集作業は大変な悪条件のもとで行われたものでした。

 エンゲルスは草稿を手にするまでマルクスから内容を知らされていませんでした。また、残された草稿は第1部と同じように仕上げられたものだと考え、その一部にマルクスの理論的転換以前の古い見解が残っていることはまったく想定できませんでした。さらに『57~58年草稿』『61~63年草稿』を研究して編集に生かすことは不可能でした。

 不破氏は「こういう困難を極めた歴史的条件のもとでエンゲルスは最善を尽くしたと思います。その努力があったからこそ、『資本論』の全体像が後世に伝わることができました。これはエンゲルスならではの歴史的功績だったと思います。私は今回、改めてその全経過を振り返って、その意義を痛感しました。後の機会に、エンゲルスの苦闘の経過をまとめて紹介する仕事を自分の課題にしたい気になりました」と語りました。

 同時に、「こういう困難な条件の下で、エンゲルス単独の努力で行われた編集作業が歴史的限界をまぬがれないことは当然です。いくつかの問題点が残りました。今日、マルクス、エンゲルスの新しい完全版全集=略称『新メガ』の刊行で、90年代半ば以後には、諸草稿のほとんど全体を日本語で読めるようになりました。ですからエンゲルス編集の歴史的到達点に安住せず、その問題点を調べて解決するのは、新しい条件を得たわれわれの責任だと思います。その責任を果たしたのが、今回の新版の大きな特徴・成果だということを報告したいと思います」と強調しました。

3、現行版の編集上の問題点

資本主義の「必然的没落」論と恐慌論 

 エンゲルスの編集の現行版の最大の問題点は、現行の『資本論』への発展の起点となったと意義付けた第2部第1草稿における新しい恐慌の運動論が見落とされたことでした。

 エンゲルスは第2部の序言(1885年)に「第1草稿は、現在の区分での第2部の最初の独立の、しかし多かれ少なかれ断片的な草稿である。これからも利用できなかった」と述べています。確かに第1草稿は全体としては未熟さを大きく残したものでしたが、そのために新しい恐慌の運動論が見落とされてしまったのでした。

 そこから二つの問題が生まれました。

 第1は、マルクスが克服した「利潤率の低下→恐慌→社会変革」という古い没落論が第3部に残ってしまったことです。そのため、第1部で展開した労働者階級の闘争を軸にした新しい革命的な没落論が全面的にはとらえられないようになってしまいました。

 第2の問題は、新しい恐慌論の本格的な説明が欠けたことです。第3部第4編の「商人資本」論の中である程度の解明はあるのですが、「商人資本」の特殊な説明として受け取られ、読み過ごされる形になってしまいました。

 新版では、それぞれの箇所で、新しい恐慌論にかかわる必要な説明を「注」で行って補うとともに、第2部の最後には、マルクスが恐慌論の本格的な展開を予定していた箇所にかなり大きな「訳注」を立て、第2部第1草稿の恐慌論の全文を掲載して、マルクスの恐慌論の到達点を正確に示すことにしています。

そのほかの一連の問題

 そのほかにも、エンゲルスの編集の問題点として新版で解明した大きな問題があります。

 マルクスは、解決すべき新しい問題にぶつかった時、解決の方法を見いだすために、書きながら問題の入り口や道筋をいろいろ考えて試行錯誤を繰り返すことがよくありました。「蓄積と拡大再生産」(第2部第3編第21章)もその典型の一つです。

 新版では、独自の注を付けて、マルクスの試行錯誤の過程であることが分かるように工夫しました。

 また、マルクスは、ノートに書くときに、イギリス議会の議事録抜粋など別目的の文章を、本文と明確に区別して書き込む習慣がありました。ところが現行版では、本文と別目的の文章との区別に気が付かないで、全てを本文として編集してしまう場合がしばしばありました。

 新版では、『資本論』に入るべきではなかった草稿が部分的に入り込んでしまった事実が分かるようになっています。

未来社会論の取り扱い

 重要な問題として、第3部第7編第48章「三位一体的定式」の最初に近い部分にある未来社会論の取り扱いがあります。

 ここでマルクスは、社会における人間の活動を二つの部分に分け、社会を維持するための物質的生産に参加する時間を「必然性の国」、それ以外の自分が自由に使える時間を「自由の国」と呼び、自由の時間を持つほど人間は発達することができる、未来社会=共産主義社会ではみんなが平等に労働して労働時間が短縮され、みんなが豊かな「自由の国」を持つようになる、それがまた「必然性の国」に反作用して労働時間が短くなって社会は発展するという壮大な未来社会論を展開しました。

 ところが、この章全体は、「資本」が利子を生み、「労働」が賃金を生み、「土地所有」が地代を生むのは自然の法則だとする俗流経済学の批判にあてられたものだったため、未来社会論はこの章の性格と異質のものとして、この章の主題の中に埋没して、未来社会論としては読まれないという状況が続いていました。

 不破氏は「私たちも、新しい党綱領をつくるときに、初めてこの文章を発見しました。これほど重要な未来社会論が見落とされたのは、この章の編集の仕方に一つの原因がありました」と述べました。

 マルクスは草稿を書く時、その場所の本来の主題ではないことを思いついたとき、カギかっこ付きで書き込むことがよくありました。この未来社会論もこの章の冒頭にカギかっこ付きで書かれていました。ところが、現行版では、「三位一体論」批判の本論の間に未来社会論を置くということになりました。そのため、未来社会論の到達点が俗流経済学批判の中に埋没し、内容を理解されないまま、読み過ごされる結果となったのでした。

 新版では、未来社会論を、マルクスの草稿どおりこの編の冒頭において区別を付けて、その独自の意義の分かる訳注を付けました。

4、新版『資本論』刊行の歴史的な意義

 不破氏は最後に、次のように語りました。

 「今年は、エンゲルスが『資本論』第2部を刊行してから134年、第3部を刊行してから125年にあたる年です。この間、日本でも世界でも『資本論』の多くの諸版が発行されてきました。しかし、エンゲルスによる編集の内容そのものに検討を加え、残された問題点を解決して、マルクスの到達した理論的立場をより鮮明にする、こういう立場で翻訳・編集した『資本論』の新版の刊行は、これまで世界に例がないものです。

 それだけに、私たちは当事者としてその責任の重さを痛切に感じています。

 私たちは、エンゲルスが十分に読み取る機会と条件のなかった『資本論』成立の歴史を、資料の面でもこれだけ明らかになった現在、この仕事をやりきることは、マルクス、エンゲルスの事業の継承者としての責任であり義務であると考えて、この仕事に当たってきました。そして、今回、発刊する新版『資本論』は、エンゲルスが資料も時間も十分に持たない中で行った編集事業の労苦に思いを寄せ、その成果を全面的に生かしながらマルクスの経済学的到達点をより正確に反映するものになったことを確信しています。現代の日本で、また広くは現代の世界で、マルクスの理論を指針として社会の進歩と発展に力を尽くそうとする多くの人々が、この新版『資本論』を活用していただくことを心から願って、私の話の結びとするものです」


pageup