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2018年10月11日(木)

「『共産党宣言』と日本共産党の発展」

『共産党宣言』170周年を記念する『中国社会科学報』への回答

日本共産党・社会科学研究所所長 不破哲三

 今年7月、中国の社会科学院から、『共産党宣言』170周年を記念するアンケートが、日本共産党の不破哲三社会科学研究所長に寄せられていました。そのアンケートへの回答が、中国社会科学院の社会科学報『馬克思(マルクス)主義月刊』9月27日号に、「『共産党宣言』と日本共産党の発展」という表題で掲載されました。そのさい、インタビュー形式にしたり、質問の順序を変更するなど、編集の手が若干加えられていますが、本紙では回答の原文を紹介します。(見出しは編集部)


日本共産党の創立と『共産党宣言』

写真

(写真)『中国社会科学報』不破哲三社研所長インタビュー

 第一に、『共産党宣言』と日本共産党との根源的な関係についてお聞かせください。

 すなわち、『共産党宣言』がどのように日本に伝わってきたのか、後世の人々が振り返るのに値する、かつハイライトとなる歴史を重点的に語ってください。日本共産党員にとって、『共産党宣言』に初めてふれた時、この著作をどのように認識したのでしょうか。当時の日本共産党員の思想状況はどのようなものだったのでしょうか。

 不破 社会主義運動の先覚者たちは、20世紀早々から、『共産党宣言』を読んで発言していますが、その日本語訳が最初に刊行されたのは、1904年11月でした。社会主義者の堺利彦と幸徳秋水の共訳で、日露戦争反対の論陣をはっていた平民新聞に掲載しました。しかし、この号は政府によってただちに発売を禁止されました。

 堺利彦は、その2年後の1906年、雑誌『社会主義研究』を創刊、その第1号に『共産党宣言』の全文を掲載しましたが、発行部数の少ない研究雑誌だったためか、これは発売禁止の弾圧をうけず、戦前の日本で、『共産党宣言』が合法的に刊行された唯一の日本語訳となりました。

 とくに、1922年に日本共産党が創立されて以後は、言論・出版面での弾圧はいよいよ強烈となりました。1928~35年に、多くのマルクス主義研究者の協力によって、『マルクス・エンゲルス全集』(全32冊)が発行され、世界的にも戦前唯一の全集となりましたが、ここでも『共産党宣言』だけは、収録を許されませんでした。

 しかし、言論弾圧のこの体制のもとでも、非合法での『共産党宣言』の出版はくりかえしおこなわれ、手から手へという方法で流布され、そこに記された革命理論は、多くの先進的な人々の共有財産となりました。このことが、1922年7月の日本共産党創立への大きな力となったことは、いうまでもありません。

党の理論建設における『宣言』の役割

 第二に、『共産党宣言』は日本共産党に対してどのような理論建設の意義をもっているのでしょうか。すなわち、『共産党宣言』の中にあるマルクス主義思想の観点、方法が、日本共産党の思想・理論の建設にどのように影響したのでしょうか。

 不破 日本共産党の綱領は、党の創立とその意義を、冒頭につぎのように規定しています。

 「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された」

 そのことは、党規約でも、第二条に明確に規定されています。

 「党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする」

 ここに表明されているように、私たちは、党全体として、思想・理論の建設においても、各分野での党活動の推進においても、科学的社会主義の立場を貫く努力をしています。

 私たちは、この理論を表現するのに、公的には「科学的社会主義」という用語を使っています。それは、マルクス自身が自分の理論的立場を表現するさい使った言葉で、内容的には、マルクス主義と同義語だとご了解ください。

 『共産党宣言』は、マルクスにとっても、科学的社会主義者としての理論的発展のいわば起点であって、マルクスは、ここを出発点に、理論の全領域でその学説を発展させるために、あらゆる努力をつくしました。マルクスが、剰余価値の学説に到達したのは、『宣言』から20年近くを経た後でしたし、社会主義・共産主義の理論にも、革命運動の理論と路線にも、多くの発展がありました。そのマルクスの理論を学ぶさい、私たちは、「マルクスをマルクス自身の歴史の中で読む」ことをスローガンにしています。

理論学習では古典の全体を重視する

 第三に、世界に影響を与えた革命的著作として、日本共産党は党員に対してどのように『共産党宣言』を利用して、理想教育、学習を展開しているのですか。すなわち、書物上の理論から行動理論まで、『共産党宣言』のどのような思想的内容が日本共産党員に深く影響を与えているのでしょうか。

 日本共産党員はマルクス主義理論の思想的武器をどのように理論的に学び、つかんでいるのでしょうか。またどのように思想的武器を運用して日本社会を分析し、さらには日本共産党の建設事業を推進しているのでしょうか。

 不破 私たちは、先の質問にお答えした立場から、『共産党宣言』だけに限定せず、マルクス、エンゲルスの古典の全体の学習を重視しています。日本共産党の中央委員会内部でも、『資本論』のゼミナールを1年間(21回)実施したり、古典講座と綱領講座を並行して1年間おこなったりしてきました。この並行講座は全国でインターネット中継をおこない、また講義内容を冊子にして、学習を全国的に広げています。古典の講義のなかでは、もちろん、マルクス、エンゲルスが『共産党宣言』で展開した革命理論や社会主義・共産主義の理論が、その後の理論的発展をふくめて、解明されています。また、青年組織である民主青年同盟では、日本共産党の幹部がその学習集会でおこなった講義『マルクスと友達になろう』をテキストにした学習活動がひろがっています。

 現実の情勢や直面する運動の課題の分析では、古典を教条にし、その物さしに現実を当てはめるような態度ではなく、科学的社会主義の核心、その科学的・革命的精神を体得して、21世紀の日本と世界を分析することを重視しています。

『共産党宣言』における未来社会論

 第四に、日本共産党自身の発展の実際と結びつけ、『共産党宣言』が刊行されて170年後に、今日の日本共産党および未来の日本にとって、どのような意義があるのかを語ってください。

 不破 『共産党宣言』が、科学的社会主義の学説の起点としての意義をもっていることは、すでに述べました。

 設問の中に、「未来の日本」という言葉がありましたが、この点でも、『共産党宣言』には、現代の世界で重要な意義を持つ命題があります。それは、私たちの運動の、世界的にも共同の目標となるべき未来社会についての、つぎの命題です。

 「階級および階級対立をもつ古いブルジョア的社会の代わりに、各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件である結合社会(アソツィアツィオーン)が現われる」

 マルクスの死後のことですが、エンゲルスが、イタリアの一社会主義者から、「来たるべき社会主義時代の理念を簡潔に表現する標語を示してほしい」という依頼の手紙をうけたことがありました。この質問に対して、エンゲルスが回答の言葉としたのが、『共産党宣言』のこの言葉でした。

 マルクスは、『資本論』のなかでも、未来社会について語るとき、「自由な人々の連合体」(第一部第一篇「第1章 商品」)、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする、より高度な社会形態」(第一部第七篇「第22章 剰余価値の資本への転化」)など、「自由」あるいは「自由な発展」という言葉を、必ずといってよいほどくりかえしました。「自由」は、それほどに未来社会の決定的な特徴とされました。

 では、その「自由」とはなにか。

 政治的抑圧からの自由、経済的搾取からの自由、これが、未来社会における「自由」の重要な内容をなすだろうことは、当然のことです。

 さらに、マルクスは、その後の研究、とくに『資本論』への取り組みのなかで、「自由」という言葉のもつ、未来社会にとっての特別の意味を明らかにしました。

 それは、未来社会では、すべての人間に「自由な時間」、どんな外的な義務にも拘束されず、自分が自由に活用できる時間をもつことが保障される、ということです。

 搾取階級が消滅し、すべての人間が生産活動に参加することによって、労働時間の抜本的な短縮が実現され、すべての人間に「自由な時間」が保障される。選ばれた特別の人間だけではなく、すべての人間に、自分の能力を発達させる条件が保障されるのです。資本主義社会は、剰余価値の拡大を徹底的に追求する利潤第一主義が経済発展の原動力となりましたが、未来社会では、自由な時間を得た人間の発達が社会の発展の原動力になります。これは、まさに、人類社会の歴史の新しい時代の始まりだといってよいでしょう。

 マルクスは、資本主義社会の終末をもって人類社会の「前史」が終わると書きましたが(「経済学批判・序言」)、それは、社会主義・共産主義の未来社会をもって人類社会の「本史」が始まる壮大な展望を示した言葉でした。

 私たちは、2004年に改定した新しい党綱領で、このことを含め、未来社会の新しい姿を全面的に明らかにしました。

古典研究の今日的な意義

 第五に、日本共産党の理論家として、あなた自身はどのように『共産党宣言』を学習し、理解し、認識しているのでしょうか。このマルクス主義の古典の著作は、あなた自身にとってどんな意義があるのでしょうか?

 不破 私たちは、『共産党宣言』の理論と運動の起点としての意義とともに、そこで取り上げられている問題の全領域にわたって、マルクスの学説の歴史的発展を探究してきました。

 国際的には、スターリンとその後継者たちによって、マルクスの理論と学説がゆがめられ、変造されたりしてきた論点が無数にありました。スターリンは、その初期の著作『レーニン主義の基礎』で、「レーニン主義」とマルクスの理論を対比し、マルクスの理論を帝国主義以前の時代の理論、すなわち、過去の理論と意義づけ、「マルクス・レーニン主義」の名のもとに、実質的にはマルクス主義とは無縁の理論体系をつくりあげてきました。私たちは、20世紀の60年代から、この誤った理論体系を克服し、科学的社会主義の本来の立場を復活させ、日本と世界の新しい諸条件のもとで、それを現代的に発展させる努力をつくしてきました。もちろん、それには、古典の徹底した研究が不可欠でした。私たちは、いまでも、その努力を続けています。

『宣言』と日本共産党綱領

 第六に、日本共産党は、『共産党宣言』のような著作、例えば、「日本共産党宣言」と直接名づけた理論的著作はあるのでしょうか。もしあるのであれば、それは『共産党宣言』との間にはどんな区別や関連があるのかを語ってください。もしなければ、将来こうした著作を著すことはできるでしょうか。すなわち、日本共産党がどのようにマルクス主義、社会主義の道にそって党を建設するのかということです。

 不破 私たちにとって、そういう意義をもつ文書は、日本共産党綱領です。この綱領は、1961年の第8回党大会で決定した綱領に、2004年の第23回党大会で抜本的な改定をおこなったものです。そこには、私たちの党の理論的発展、なかでも、半世紀にわたる古典研究の成果と、スターリン時代以後の誤った遺産を根こそぎ清算した成果が結実しています。

 党綱領は、五章からなり、第一章では、戦前の日本社会の情勢とそこでの党活動の歴史を概括し、第二章で、現在の日本社会の情勢を分析して、その大局的な特質を明らかにし、第三章で、20世紀をへて到達した21世紀の世界情勢の特徴を分析し、第四章で、日本の当面する革命を、対米従属と大企業・財界の支配を打破する民主主義革命と規定して、それを成し遂げる道筋と統一戦線の方策を明らかにし、第五章で、社会主義・共産主義の社会、すなわち未来社会の目標とそこに至る道筋を解明すると同時に、21世紀の世界的展望を示す、という構成になっています。

 私たちは、そういう言葉は使いませんが、質問者の言葉を借りてあえて言えば、党綱領、これが、科学的社会主義の党として、日本共産党が、どんな日本、どんな世界をめざすかを語る、「日本共産党宣言」に該当すると思います。

「私的所有の廃止」の意味をどう理解するか

 第七に、『共産党宣言』の中に、「共産主義者は、自らの理論を一つの表現に総括することができる――私的所有の廃止」という言葉があります。あなたはこの話をどのように理解していますか。

 不破 『共産党宣言』は、引用された文章にすぐ続く部分で、社会の共同所有に移るのは、「資本」であることを強調し、のちの、「労働者革命」が実現したときに、実行される変革の内容を具体的に説明した部分でも、変革の内容を、「すべての生産用具を国家の手に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中」することだと、説明しています。『共産党宣言』が「私的所有の廃止」という場合、それが「生産手段の社会化」を意味することは、明白だと思います。

 マルクスは、『資本論』で、未来社会の経済関係を問題にしたときにも、共同で生産する生産物について、生産手段はひきつづき社会の共同所有として残るが、生活手段は各個人に分配される、つまり個人の私有財産となるという説明をしています。これが基本態度でしたから、インタナショナルの時代に、反共派が、“インタナショナルは勤労者の個人財産を廃止しようとしている”という攻撃を加えてきたときにも、エンゲルスは、断固とした反撃をくわえたのでした。

革命論――マルクス自身の理論的発展を探究

 第八に、『共産党宣言』の中で、「プロレタリアートは暴力によるブルジョアジーの転覆によって自らの支配を打ち立てる」と述べています。あなたは、この話が正確だと考えますか。それはなぜですか。

 不破 当時は、ヨーロッパの主要国で、普通選挙権が保証され、国民の選挙によって議会や政府が選ばれるという民主的な政治体制は、どこにも存在しませんでした。そういう条件のもとでは、反動的な体制を変革する革命は、人民の決起による以外にありませんでした。それが、当時のマルクスの革命論にも反映しています。

 その情勢が変わり、いくつかの国で民主的な政治体制がうまれはじめたとき、もっとも早くこのことに注目して、そういう条件をもった国ぐにでは、議会での多数者の獲得を通じての革命の展望があることを、初めて指摘したのも、マルクスでした。この点では、1870年代のマルクスの次の二つの発言が、特に注目されるべきだと思います。

 一つは、インタナショナルのヨーロッパでの活動を終結させたハーグ大会ののちに、アムステルダムの大衆集会でおこなった演説(1872年9月)です。マルクスは、「労働者は、新しい労働の組織をうちたてるために、やがては政治権力をにぎらなければならない」と述べた後、その方法について、次のように語りました。

 「われわれは、この目標に到達するための手段はどこでも同一だと主張したことはない。われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統を考慮しなければならないことを知っており、アメリカやイギリスのように、そしてもし私があなたがたの国〔オランダ〕の制度をもっとよく知っていたならば、おそらくオランダをもそれにつけくわえるであろうが、労働者が平和的な手段によってその目標に到達できる国々があることを、われわれは否定しない。だが、これが正しいとしても、この大陸の大多数の国々では、強力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない」

 もう一つの発言は、1878年、ドイツのビスマルク政府が、ドイツの労働者党を非合法化する弾圧立法を持ち出したとき、その議会討論の記録を読みながら、ノートに書き付けた次の文章です。一部の国ぐにでの革命の平和的発展の可能性についてのマルクスの考えが、アムステルダムでの演説よりも、さらにくわしくより立ち入った内容で説明されています。

 「当面の目標は労働者階級の解放であり、そのことに内包される社会変革(変化)である。時の社会的権力者のがわからのいかなる強力的妨害も立ちはだからないかぎりにおいて、ある歴史的発展は『平和的』でありつづけうる。たとえば、イギリスや合衆国において、労働者が国会(パールメント)ないし議会(コングレス)で多数を占めれば、彼らは合法的な道で、その発展の障害になっている法律や制度を排除できるかも知れない。しかも社会的発展がそのことを必要とするかぎりだけでも。それにしても、旧態に利害関係をもつ者たちの反抗があれば、『平和的な』運動は『強力的な』ものに転換するかも知れない。その時は彼らは(アメリカの内乱やフランス革命のように)強力によって打倒される、『合法的』強力に対する反逆として」

 マルクスの革命論は、こうして、資本主義諸国での政治制度の変化、とくに国民主権の民主主義の政治体制の進化に応じて、発展をとげてきました。そして、その発展は、多数者革命の路線として結実してゆきます。

 私たちは、革命論の問題では、『共産党宣言』での規定を当時の歴史情勢のなかで位置づけ、マルクスの革命論のその後の発展とその方向性を正確にとらえることが、きわめて重要だと考えています。

 この問題では、レーニンが、その見地に立たず、20世紀に入った段階で、強力による革命を革命の普遍的法則と意義づけ、いわば『共産党宣言』段階の革命論を固定化してしまったことは、マルクスの理論的発展に逆行したもので、たいへん残念なことでした。


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